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李済華監督(國學院久我山)「単純に勝つ確率が高いから」 

30日に開幕した第90回全国高校サッカー選手権大会。開会式後に国立競技場で行われた開幕戦のカードは、國學院久我山(東京B)対東海大五(福岡)。
試合は、2-1で國學院久我山が勝利した。

以下、試合後のミックスにて筆者が國學院久我山の李済華監督に質問をした箇所。




――根本的なことを聞きます。こういう大舞台、一発勝負の中で久我山が開始からつなぐ理由について。例えば、開始1分で自陣ゴールキックからGKがショートでDFにつなぎました。ああいうサッカーを貫く理由は?

李監督 
単純にそちらの方が勝つ確率が高いから。それだけです。よく一発トーナメントだから「その(つながない)戦い方がある」と言うけど、それは間違いだと思いますよ。負ける時もあるけれど、ボールコントロールをした方が絶対に勝つ確率が高まるということです。

――そういうサッカーを信念として持ち始めたのはいつ頃ですか?

李監督 
私が高校時代ですから40年くらい前からかな…(笑)

――バルサに先駆けて、ですね?(笑)

李監督 
1970年のメキシコW杯でペレが活躍するのを見てからです。

――そういうサッカーを貫けば「タレント不足」と言われるような今の高校サッカー界でもきっちり勝つ確率の高いチームを作れるということでしょうか?

李監督 
その通りだとは思いますけど、うちの選手たちを一つの例にとると、渡辺夏彦とか平野佑一。彼たちはタレント性があるのか、ないのか、と。Jのスカウトが一つ特徴的な何かを持っている選手のことを何とかという言葉で表現していたのですが、夏(渡辺)とか平野、富樫といった選手は1年生で出ているので「久我山の1年生いいね」と言われるんですけど、違うチームであの子たちをスカウティングした人間は誰もいないわけですよね。華奢だし、うちのチームに来たと。

あの子たちにとっては本当にうちのチームが合ったんだと思うんですよ。勉強もサッカーもやるという。サッカーのスタイルにおいても自分たちに合ったんでしょう。そしてあの子たちが違う学校に行った時に1年生として試合に使っているかどうかもわからないですよね。うちのチームだから使ったのかもわからない。

違うチームに行ったら、「お前パワー不足だよ」とか「まだフィジカルが弱い」といって使われていないのかもしれない。うちのチームだから使われたと。だから私はタレント性で一番大切なのは、ボールコントロールと状況判断だと思ってます。

イニエスタ、シャビなんかを見ていればわかることですよね。それを高校サッカーでも貫くのか。上の人間がそれを評価できるのか。うちのチームは大したことないんでしょうけど、渡辺夏彦という選手を見て、カテゴリーの上の人間たちがどうやって評価するかは面白い問題だと私は思います。

少なくとも私にとってはすごいタレントだと。ただ、違う人間から見たら「これはタレントじゃない」と言うのかもしれない。まあ、イニエスタがJリーグにいたら最初からレギュラー獲っているかどうかわからないですよね。

――都大会決勝の後、「渡辺のような選手がアンダー代表に入ってもらえれば」というようなことを仰っていました。

李監督 
そうですよ。私は彼をタレントだと思っていますから。ただ、上の人間が彼のタレント性をどう評価しているのかはわからない。

――これからの日本サッカー界において、そういうタレントをしっかり評価していくことは重要ですよね?

李監督 
私がそういうことを言うのはおこがましいので(苦笑)

――監督の口からそういうことを聞きたいのですが(苦笑)

李監督 
そうなってほしいですね(笑)

(了)




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誰が『Jリーガー』を殺すのか? 

2011年12月23日配信のメルマガより抜粋

 『「ビニール傘化」するJリーガーをなくすために』というコラムで使った資料の延長として、契約満了選手の一覧を集計してみた。2011年シーズンも終了したことで、J1、J2に在籍していた38クラブから契約満了選手がリリースされており、先週14日付けの手元の集計では合計144人。平均年齢は27.6歳だ。

 13日にJPFA(日本プロサッカー選手会)とJリーグが主催する合同トライアウトがフクダ電子アリーナで行なわれたが、そこに参加した戦力外選手は77人という報道が出ているのでちょうど約半数となる。

 G大阪との契約が満了となった橋本英郎、高木和道が素早くヴィッセル神戸に移籍したように、契約満了で「0円移籍」できることをメリットに素早く次のクラブを見つけられる選手もいる。が、トライアウトに半数の選手が参加したように、大半はそう簡単に次の移籍先が決まらない状況に置かれている。

 144名のうち30歳以上の選手は48名で、全体に占める割合は33.3%。最年長は40歳のMF桑原裕義で、最年少は唯一の10代である19歳のMF呉勝録。ともに、ギラヴァンツ北九州から戦力外通告を受けている(呉は1年目)。大卒1年目で戦力外通告を受けたのは、すでに紹介した水戸の3選手と、ロアッソ熊本でプレーしたFWソン・イニョン(←芸苑芸術大学)。

 単年契約で戦力外となった選手は45名で、全体の31.3%。45名のうち外国人選手は17名だ。「1年切り」で目立つのはJ2クラブで、38名がJ2所属の選手たち。逆にJ1所属の17名の選手を見ていくと、山形4名、甲府4名、福岡2名とJ2降格3クラブに過半数を越える10選手がいる。

クラブの予算規模と選手の契約条件は比例するため、J1で降格争いをするクラブやJ2のクラブから1年切りが多発するのは致し方ないのかもしれないが、17名のうち8名が今季のリーグ戦出場0試合、0時間だ。

 以前のコラムでも指摘したが、結果的であれ1年契約の選手を1試合も使うことなく戦力外とするならば、はじめから獲得をすべきではない。「選手の実力不足」という理由で切ることは、クラブとして選手のスカウティング能力や強化部としての機能が欠如していることを露呈しているだけだ。

続きはメルマガ本文にてどうぞ!

徳永尊信(サッカーコーチ)×小澤一郎(サッカージャーナリスト) エル・クラシコ対談 

2011年12月15日配信のメルマガより抜粋

(株)アレナトーレ提供



――エル・クラシコ(レアル・マドリード対バルセロナ)の試合前は、どのような予想・展開を考えていましたか?

徳永尊信氏(以下、徳永) 結果までは予想していませんでした。昨季の国王杯ではバルサが負けてしまいましたが、試合の日までバルサの方が分が良かったので。今季、レアル・マドリードがリーグ戦で上位という状況の中、どう戦ってくるのかというところに注目していました。

――今季のレアル・マドリードに関してはどう見ていましたか? 去年と比較してレベルアップしたと思いますが、具体的にどの部分が良くなったのでしょう?

徳永 けが人の復帰と、ベンゼマの復調ですね。けが人と言えばイグアインやカカも当てはまります。それで本来の戦力がだいぶ整ってきたかなと思います。やっていること自体は、昨シーズンのサッカーと変わりないと思います。

――スペイン国内では、ポゼッションのやり方やボール支配率自体が非常に上がってきたのではないかという声も聞きます。そういった見方に関してはどうお考えですか?

徳永 確かにそうですね。ただ、ポゼッションの仕方は360度ピッチを広く使ったサッカーというわけではなく、バルサとはまた違ったスタイルの、縦型のサッカーをしてくるなという印象はあります。

――今季のクリスティアーノ・ロナウドについてはどうですか?

徳永 申し分ないと思いますね。スペインでは全てそろった選手という意味で“コンプレト(completo)”と言いますけど、その言葉通りのプレーをしているのではないでしょうか。

――今季のバルサは勝ち点を取りこぼしたり、あるいは直前のヘタフェ戦では負けたりしています。そのような取りこぼしについて、原因をどのように考えていますか?

徳永 長いシーズンを戦っていく上で、全試合全勝で飾ることのできるチームはないと思いますし、取りこぼしと言っても、全体の割合で言えばそんなにそこまで多くはありません。長いリーグをこなしていくわけですから、負けることがあるのも当然かなと思います。逆に、ここまでのレアル・マドリードのペースというのが、異常とも言えるのではないでしょうか。

――最近のバルサは、システム論に関して「3バックの1-3-4-3にした」ということなどがよく言われます。開幕戦のビジャレアル戦でいきなりそのシステムを試したとはいえ、それがベーシックなシステムとはならないと考えられてきました。徳永さんはバルサのシステムの変化をどうみますか?

徳永 やはりグアルディオラとしては、同じシステムで戦っていく上で、相手が詳しく研究してくるということを考慮し、あえてバリエーションを加えたかったのではないでしょうか。また、グアルディオラが選手時代にやっていた戦術でもありますし、バルサBの監督に就任した時も当初やっていました。ですから、グアルディオラにとっても常に頭の中にオプションとしてあったのではないですかね。

――徳永さんは、そのバルサB時代のペップを知っている数少ない日本人だと思います。それをリアルに見てきたという経験からみて、その当時のサッカーや彼がプレーしていたサッカー、そして彼が監督として標榜したスタイルと比べて、何か変わったところはありますか?

徳永 変わっている部分というのは、やはり前線からのプレスといった部分ではありますが、バルサの哲学が変わったわけではないので基本的に指向しているサッカーは同じだと思います。


続きはメルマガ本文にてどうぞ!

12/19 トークショー「バルセロナの指導法、戦術論を学ぶ」開催 

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■選手や指導者も必見! トークショー「バルセロナの指導法、戦術論を学ぶ」が開催

 『ワールドサッカーキング増刊 FCバルセロナ完全読本』が12月9日(金)に同時リリース。この3部作の発売を記念した第3弾のイベントが12月19日(月)に開催されます。

 トークショーのタイトルは「バルセロナの指導法、戦術論を学ぶ」。バルセロナで指導経験のある徳永尊信氏と、日本とスペインで育成年代の指導経験を持つサッカージャーナリストの小澤一郎氏が、バルセロナの魅力を詳細に解説します。イベントの後半には出演者と参加者による質疑応答も行う予定です。

 バルサの華麗なサッカーを多角的に追究する内容となっており、サッカーファン、プレーヤー、指導者の誰もが新たな視点を身につけられるはず。参加希望の方は、下記案内をご確認の上、応募フォームからお申し込みください。

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ワールドサッカーキング増刊 FCバルセロナ完全読本発売記念!!
バルセロナの指導法、戦術論を学ぶ
~スペインでの指導経験があるコーチとジャーナリストがバルサの魅力を解説!~

日時:12月19日(月)19:30~21:30
開場・受付開始:18:50

出演者:

徳永尊信(とくなが・たかのぶ)

徳永尊信(とくなが・たかのぶ)
1975年、東京都出身。欧州と南米で指導経験のあるサッカーコーチ。スペインサッカー協会公認指導者ライセンス・レベル2保有。街クラブや矢板中央高でコーチを務めると2004年8月にスペインにコーチ留学。バルセロナの名門エウロパなどでコーチを経験し、2010年からはエクアドルの強豪バルセロナSCでU-18の監督、ユースカテゴリー統括責任者を兼任。2011年春に帰国し、現在は出身クラブの指導やクリニックなどで活躍中。


小澤一郎(おざわ・いちろう)

小澤一郎 (おざわ・いちろう)
1977年、京都府生まれ。サッカージャーナリスト。早稲田大学卒業後、社会人生活を経てスペインにて執筆活動を開始。日本とスペインの両国で育成年代の指導経験があり、育成や戦術のテーマを得意とする。著書に『スペインサッカーの神髄』(サッカー小僧新書)、訳書に『モウリーニョVSグアルディオラ』(ベースボールマガジン社)。有料メルマガ『小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」』(まぐまぐ!)も好評配信中。


参加費:3000円 当日現金払い
※メルマガ『小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」』購読者は2000円。申込み時、備考欄にメルマガで告知されたパスワードを必ずご入力ください。

会場:東京都中央区 参加者に改めてご連絡差し上げます。

定員:50名(申し込み先着順) 最少催行人数は20名。最少催行人数に達しなかった場合はイベントの実施を中止させていただく場合があります。

主催:ワールドサッカーキング、株式会社アレナトーレ

協賛:サッカージャーナリスト養成講座、フットボールプラザ、サッカーキング

※出演者、内容、定員は変更になる場合がございます。あらかじめご了承ください。

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■入力ページ備考欄近くの注意

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パスワードを入力した方のみ、参加費を2000円とさせていただきます。

受付ページ:http://www.soccer-king.jp/survey_answer/id=123

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「サッカーは天然芝でやるべきスポーツ」脇田英人(スポーツマネジメント株式会社代表取締役社長)インタビュー(後半)  

2011年11月30日配信のメルマガより抜粋

(株)アレナトーレ提供



――私も大学時代に使わせていただいたことがある波崎サッカータウンのこれまでの経緯について、お聞かせいただけますか。

脇田 立ち上げは私ではなく横山です。息子さんのサッカーコーチとして関わって「サッカーって面白いな」と思っていたのですが、1992年のナビスコカップでテレビを見ると「向こうは緑のグラウンド、我が息子は土だな」と思ったと。

 それで調べると、グラウンドが芝生と土とではできることが180度違う。これからのサッカーが発展していくためには、誰もが気軽に使える芝生グラウンドが世の中にないといけない、芝生グラウンドを全国につくろう、と考えた。

 ただ作るには手間もお金も掛かりますし、グラウンド代だけで生計は立てられない。そこで、子供たちが合宿をしていることに目をつけ、「合宿する地域にグラウンドを作ってもらうことが一つのビジネスになるのでは」と考えたんです。

――なるほど。

脇田 彼は3つの条件を掲げて、調査しました。1つめが「関東から近からず遠からず」、2時間半から3時間の間にあること。つまり「宿泊してナンボ」の場所です。2時間以内になると日帰りしてしまうし、3時間半を超えると1泊の予算じゃ行かなくなる。それが第一条件。

 2つ目が「土地が安い」こと。高いと面数を増やせなくなるし、そうなると人をたくさん呼べない。そして3つ目は「1年中できる」ことです。例えば雪が降ると、サッカーの稼働率が12カ月中12分の6になる。12分の12であることが前提条件です。

 なおかつ、大前提として宿泊施設があること。施設から立てるとなると、ものすごいお金がかかります。ということで探して見つけたのが、波崎だったんです。

 波崎は当時、長谷川旅館の親父さんが芝生グラウンドをやっていたんです。そのきっかけも面白いんです。当時、住友金属所有のグラウンドを借りて、お客さんを取っていました。しかし、ある日グラウンドに行ってみると「住友金属の施設だから他の人には貸さない」と突然言われた。お客さんに平謝りした後、「ふざけるな」となってグラウンドを独学で持ちだしたんです。

 そこで「サッカーのグラウンドを作ったらお客さんを呼べるから」という企画書ゼロ、ビジョンも口で話しただけ、それで親父たちを説得して、グラウンドを作ってもらったんですよ。もっとも、「このまま何もしなかったら人は来なくなる」とも思っていたようです。

――危機感があったわけですね。

脇田 そしてグラウンドを作り、サッカー大会を企画しました。3面しかなかったんで16チームで募集をかけたところ、応募は387チーム。それは実績として残すため、「ワクを越えても、抽選ですとか言ってとにかく受けろ」と。

 それで、サッカー大会を3週に分けて振って開催し、最初の開会式のときに宿の人たち全員を呼んで「ほらみろ、これだけの人が来るんだ」と。そういうところで皆が「オレのところも」となって、作っていった。

 今の時代ではありえない、ノープランもいいところなんですが(笑)。「恐らくそうなるんじゃないかな」と。だから波崎にいろんな人が来て、「どういうプランでこうなったんですか?」とか質問をされても、「ん? タイミング!」って返答してます(笑)。

――あはははは(笑)。

脇田 「運だよ、運!」って。

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「すべてのヒントは現場に落ちている」 脇田英人(スポーツマネジメント株式会社代表取締役社長)インタビュー(前編)  

2011年11月30日配信のメルマガより抜粋

 「アマチュアサッカーの環境整備」を理念に掲げながら、サッカーの普及、アマチュアサッカーの底辺拡大に貢献するため2000年7月に創業をしたスポーツマネジメント株式会社。その「スポマネ」で代表取締役社長を務めるのが、脇田英人氏だ。


 サッカー業界ではお笑い芸人ペナルティのワッキーの兄としてよく知られる存在だが、本人も実業団の選手として国体に出場するまでの快速フォワードとして地元愛知県を中心に知られたサッカーマン。


 私の学生時代、早稲田大のサッカー部(ア式蹴球部)への入部は叶わず同好会でサッカーを続けていた際に大会や遠征などでお世話になっていたのが脇田氏であり、スポマネだ。サッカージャーナリストの仕事に就くようになってからも「footies!」という高校生向けフリーペーパーの仕事でスポマネさんとは一緒にお仕事をさせてもらっている。


 今や「サッカータウン」として関東のみならず全国からチームが集まるようになった茨城県神栖市波崎だが、脇田氏はその波崎に「サッカー」を持ち込んだ仕掛人の一人でもある。


 笑顔と明るいキャラクターから誰からも慕われ、代表を務めながらも未だ「現場主義」を貫き大会や天然芝のグラウンド整備に出向く熱心なワークスタイルから誰からも信頼、尊敬されている脇田氏。


 サッカーへの愛、サッカーファミリーへの愛が体全体から、そして生き様から溢れ出ている「ワキさん」に今回インタビューさせていただいた。前半の今回は、サッカー人としての歩みからスポマネを立ち上げるきっかけまでを広く、熱く語ってもらった。



スポーツマネジメント株式会社


http://www.spo-mane.com/


ゆめのはなし 「脇田英人氏」


http://www.blog-surugabank.jp/surugabank/blog/2010/12/221430.html


(c)Ichiro Ozawa



――サッカーとの関わりのスタートについて教えて下さい。


脇田英人(以下、脇田) 私がサッカーを始めたのは、小学校4年生の3学期です。当時は4年生から部活に入れたんですが、周りはみんな野球だったんです。僕もその流れに乗って野球部に入りました。当時の野球部というのも学校の部活ではなく、学校と提携しているクラブチームだったんです。名前も弱そうな「中央ポロリーズ」という名前なんですけど(笑)


 野球部に入って2カ月が経ち、「面白くないな」と。外野をやっていてもボールが全然来ないし。するとサッカーをやっていた友達が「サッカーは面白いぞ」と言われて、誘われていったのがきっかけです。それで「こっちの方が面白いじゃん!」となって、僕は俗に言う部活からスタートしました。


――脇田さんのご出身はどちらですか?


脇田 生まれとするならば、福島県です。育ちで言うと、転勤族だったので福島で2回引越し、東京の練馬、千葉の船橋、そして愛知県の名古屋市。名古屋でしばらく、24歳までいました。


――高校は愛知県?


脇田 愛知県です。そのまま大学も愛知でした。


――サッカーはどこまで現役としてプレーされたのですか?


脇田 一応実業団、社会人までやっていました。そして大学卒業の時、皆さんは当然のように就職活動をしますよね。でも、僕はそれをやる意味がわからなかった。やりたいことはサッカーしかなく、しかし当時サッカーでお金を稼ぐ手段は指導者しかありませんでした。


 卒業は1992年で、Jリーグ発足前年のナビスコカップが行なわれた年でしたが、自分はそこまで(Jリーガーになるほど)のレベルの選手ではなかった。なのでアルバイトをして、サッカーの指導者をすれば「月20何万は稼げる、これでいいや」と思って就職活動も一切しなかったんです。


 だけどたまたまいつも遊びに行っているサッカーショップに行った時に、釜本さんの時代にあった名門チームの名古屋銀行サッカー部が復活して3年目だったんですが、たまたまその部長さんと出会ったんです。


 それで部長さんとコーヒーを飲みに行って、そのままその日の試合を見に来てもらいました。8-0で勝った試合で、7得点1アシストでした。


――それはすごいですね(笑)。


脇田 まあ相手も弱かったんですけどね(笑)。当時僕は足がすごく速かったので。それで「よし、ウチに来い」と言われて。実業団でプレーする機会は今しかない、指導者はまだ先でいいかなと思ったので、大学から実業団へ入団しました。


――そこからの歩みはどういうものでしたか?


脇田 3年間プレーしました。1994年の愛知国体で、当時青年1部と2部があったんですが、2部のほうに呼んでもらって。地元開催の場合は1年前から強化するので、1週間に1回国体チームで集まって練習をするんですよ。ある時は、国体チームだけで遠征に行ったり。


 その時に、ひざの前十字靭帯を切ったんです。当時は手術をするか、しないなら筋肉で補うかでした。手術をすると長くかかるので、結局「翌年の国体に出たい」ということで手術をせずに行きました。結果はどうだったかというと3位だったんですが、最後は試合に出られないぐらい足が痛くなってしまって。


 それで「国体も出られたし、そろそろ良いか」、と思って指導者の道を志しました。大学4年間は高校チームのコーチをやっていたので、指導の現場には自信がありました。しかしさすがに4年も離れると情報は変わっていますから、知識が必要だし経験も必要、それに自分が卒業したところしかルートがないので人脈も必要でした。


 この3つを得るために「サッカーに関わる仕事は他にないか」、と思って『サッカーダイジェスト』誌を見ていたら、ある会社の「サッカー大会運営スタッフ募集」という記事を見つけた。それで見たら全カテゴリ-でやっているから、「行けば人脈を作れるな」と。人脈を作った後に、人を通じて知識や経験を手に入れればいい。


 指導者の道のりのホップ・ステップ・ジャンプでいうところの「ホップ」になるかな、と思って臨んだんです。そうしたら、サッカーというものが今まで指導者と選手の2つしかないと思っていたのが、実際は「サポートする仕事もあるんだ」と知りまして。そこから、どっぷりこの業界に浸かりました。


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選手権予選から見えた、育成現場の硬直性 

2011年11月30日配信のメルマガより抜粋


(c)Ichiro Ozawa



さて試合後、0-1で敗れた流経柏高の本田監督に囲み取材の形式で話を聞いた。「もう負け慣れていますから大丈夫ですよ」と気丈な態度で話してくれていたが、本田監督は敗戦の弁をこう述べていた。

 「らしさは2回くらいしか出なかった。らしさ、というのはタンタンタンタンとつなぐシーン。それをもっと出してほしかったですけど、とにかくよく研究されて両サイドを封じられた。これが敗因ですね」。

 確かに前半にあった、簡単に蹴らずに相手陣内で素早いワンツーを決めたシーンなどではいい攻撃になっていたし、高速ワンツーを連続で決めるシーンもあった。戦力的な格差から見れば、流経柏高がつなぐ意識を高めてきっちりサッカーをしていれば7、8割ほどの確率で勝利していただろう。

 あくまで個人的な印象ではあるが、本田監督ほどの指導者、名将と呼ばれる監督といえども、未だに選手権のような一発勝負の戦いではつなぎを封印して縦に早くロングボールを入れ、守備ではとにかくセーフティーにボールを相手陣内に蹴り込む方が「勝つ可能性が高い」と信じきっている。

 昨年の選手権でも「サッカーの多様性」を口にした上で、つなぐサッカーが主流になりつつある高校サッカー界で、ゴールに直結したプレーを優先する縦に早いサッカーを選択していることの正当性を述べていた。
 
 しかし、個人的には流経柏高ほどの戦力、選手層を持ったチームがきっちりと1年をかけて「マイボールの優位性」を最大限に求めた効率的なサッカーを実践した時に、どれほどの勝率と強さを見せてくれるのだろうと、皮肉ではなく期待感を持って想像する。

(c)Ichiro Ozawa



 申し訳ないが今年の個々の力で比較すると、市立船橋高と流経柏高の戦力格差は歴然。流経柏高はU-18プレミアリーグでも安定した力と結果を出しており、宮本拓也、古波津辰希といった昨年の選手権ベスト4の主力を擁する。1部とはいえ関東プリンスの市立船橋高では、個々の集合体としても差があったように思う。結局、相手に合わせて蹴り合ってしまったことが流経柏高にとっての最大の敗因ではなかったか。

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