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JFAアカデミー福島が示したスタンダード【 @ichiroozawa】  

小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」第107号(2012年08月30日配信号)より抜粋※

 先週末(25、26日)にいわきグリーンフィールドで行なわれた第92回天皇杯福島県代表決定戦の準決勝と決勝の取材に行ってきた。お目当ては、昨年決勝で敗れたものの福島ユナイテッドFCを追い込んだJFAアカデミー福島。準優勝チームということで今予選ではシード権を得たJFAアカデミー福島は、順当に準決勝まで勝ち抜き、25日の準決勝で東北社会人リーグ1部所属のFCプリメーロと対戦した。 
 
■東北社会人1部の相手に3-1と圧勝 

 
 福島県代表として過去9回の出場を誇る古豪のFCプリメーロだが、試合は終始JFAアカデミー福島が圧倒。パスを回しながらサイド攻撃と中央突破をバランス良く配分し、相手の守備陣形を崩していくと、後半15分までに3点を入れて試合を決めた。後半22分にミスから失点を許すも、試合はそのまま3-1でJFAアカデミー福島の勝利。この試合で活躍が目立ったのが、ハットトリックを決めたFW平岡将豪とボランチとして攻撃を操った安藤輝の高校2年生コンビだ。 
 
 試合後、JFAアカデミー福島の中田康人監督に話を聞くと「暑さで選手たちの動きが予想以上に鈍かった」とした上で、「トーナメントの戦いに慣れない部分がある中で、チームでやろうとすることは徹底してやってくれました。もう少しボールが動けばもっと良かったですけど、一番の目的である勝利という部分では、きっちりと点を取ってくれましたし、粘り強く守れました」という評価を与えていた。 
 
 内容からもスコアからも「快勝」と呼べる勝利ではあったが、個人的にも「もう少しスムースにボールを動かしながら決定機を作れる」と感じた。この酷暑にもかかわらずキックオフ時間が13時に設定され、試合前に水が撒かれることもなく、「ボールが走らない」ピッチコンディションにしてはよくパスが回ったとは思うが、JFAアカデミー福島の選手たちの基礎技術やポゼッション能力からすれば物足りなかったのも事実。その点について中田監督は、「一人がボールを持つ時間が長かったこと、それからボールを足元につけすぎました」と説明した。 
 

■ダブルブッキングを放置する日本サッカー界の現状 

 
 準決勝に勝利したことで、決勝の相手は昨年と同じ福島ユナイテッドFCに決まった。13時という開始時間の問題もそうだが、この週末は準決勝と決勝が連戦となる。加えて、JFAアカデミー福島には大きなハンディキャップがあった。それは25日、天皇杯準決勝の試合と共に、東北プリンスリーグ1部の試合(対聖和学園高校)があったことだ。要するに、公式戦のダブルブッキングだ。 
 
 JFAアカデミー福島にとって天皇杯は「JFAアカデミー」という存在を全国にしらしめるための大事な舞台であり、是が非でも福島県代表として出場したい大会。一方で首位をひた走る東北プリンスリーグ1部も、来季のU-18プレミアリーグ昇格のために残り4試合を一試合も落とせない公式戦であり、前日にアカデミー関係者に話を聞くと、「うまく選手を分けて二兎を追います」ということだった。 
 
 公式戦が同日に被ること自体が問題なのだが、カテゴリーによって大会が乱立し、特に年間リーグが入り込んだ上にアンダー代表の活動への配慮などスケジュールに全く余裕のない高校2種ではこうしたケースも出かねなない。であれば、どちらかの大会の試合日程をスライドさせた上でダブルブッキングを避ける配慮がされて然るべき。 
 
 だが、日本サッカー協会も福島県サッカー協会も結局はこの問題を放置したまま、JFAアカデミー福島が25日に公式戦2試合を戦うことを黙認した。よくぞこうした問題を黙認した上で、「プレーヤーズファースト」なる言葉を発することができるものだと呆れ返る。 

2012年08月23日配信のメルマガより抜粋。メルマガ本文では、この数倍近いボリュームで濃密なコンテンツを取り揃えています。ぜひご購読ください。※

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【全文掲載】幸野志有人(19歳)がもたらす、J2へのインパクト【 @ichiroozawa】 

小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」第106号(2012年08月23日配信号)より全文掲載※

 「彼が入ったことによって、試合が大きく変わった。われわれの中で、一番(出来の)いい選手だった」
 
 試合後、FC町田ゼルビアのアルディレス監督がこう振り返った通り、今号で試合後のコメントを掲載しているMF幸野志有人のパフォーマンスは町田のサッカーをドラスティックに向上させた。後半7分という早い時間に投入された幸野は、豊富な運動量と高い基礎技術を武器にボールを引き出し、リズムよくパスをさばいて町田の攻撃にリズムを作った。スタッツを見ても前半と後半の町田の出来、試合内容は歴然とした差があり、前半の町田のコーナーキックは2本だったのに対して、後半は12本だった。
 
 前半の町田は、中盤を省略して前線の勝又慶典めがけてロングボールを放り込むばかり。前半終了間際にその勝又が相手DFのボールを引っかけて決定機を作るも、そうしたプレーか相手のミス以外にチャンスを作り出せないサッカーに終始した。
 
 そうした質の低いサッカーのメカニズムも明確で、中盤のアンカー太田康介、コリン・マーシャルが最終ラインからボールを引き出せず、ビルドアップのパスを受けても前を向けずに安易なバックパスを繰り返すばかりだったから。コリンに至っては、ミスを嫌って中盤の低い位置でスペースメイクをするようなプレーぶりで、「オレにパスをよこすな」といった雰囲気が溢れ出ていた。
 
 後半に幸野が出て以降の町田は、彼が中盤でボールを収めて起点を作り、少ないタッチ数でテンポのいい配給によって攻撃に流動性が生まれた。必然的に相手の鳥取はボールを追って受動的に走らされ、消耗しながら守備ブロックにほころびを生み出すようになった。
 
 ただ、残念だったのは幸野以外にポゼッションしながら決定機を生み出すようなクリエイティブなプレーのできる攻撃的選手がいなかったこと。アンカーの太田がパスを受けられない、前を向けないことから、幸野がアンカーの位置まで下がりゲームメイクしたため、肝心のアタッキングサードからの攻撃は確率の低い一か八かの勝負パスかミドルシュートで、ボックス内での決定機はほとんど作れなかった。
 
 当メルマガを中心に継続的に幸野志有人を見続けているが、その理由がこの試合でもはっきり出ていた。理由は2つあって、まずは育成年代での基礎技術やサッカーの重要性が彼のプレーを見れば理解できること。「止める、蹴る」の重要性は日本の育成現場でも口酸っぱく言われていることだが、ハイスピード、ハイプレッシャーの中でブレない技術を発揮できる選手はそう多くないし、J2の試合ではほとんどの選手の技術がブレてしまい、リスク回避のロングキックでごまかしている。
 
 この町田と鳥取の試合を見て幸野のプレーをただ「うまい」と評価して流すのではなく、具体的にどういうファーストタッチをして、どこにボールを置いているのか、それをどの程度のスピードと移動距離の中で行なっているのかは特に育成年代の指導者に検証してもらいたいと考えている。
 
 もう1つの理由は、彼が19歳にして町田に2度目の期限付き移籍をしていることからもわかる通り、彼は「試合に出てナンボ」という選手としての当たり前の“ゲームファースト”文化を浸透させるだけのインパクトを日本サッカー界に残す可能性を秘めていること。
 
 昨季大分でコンスタントな試合出場を重ねて成長し、自信を得てFC東京に復帰したものの、J1優勝を狙える戦力、選手層のあるFC東京では出場機会を得られなかった。しかし、シーズン途中で再び期限付き移籍を選択し、「シーズンを棒に振る」かのような過ごし方にはしなかった。
 
 彼自身に話を聞いても「まだ19歳ですから」といった余裕や甘えは一切ない。プロとして1年、1年が勝負で、目の前の試合のメンバーに入ること、そこに出て結果を残すことに飢えている。高卒の18歳でプロ入りした選手たちに対してまだまだ「2、3年は修業期間」という見方をする風潮がある日本にあって、彼のような存在は凝り固まった古い価値観をぶち壊してくれると信じている。
 
 実際、町田のサッカーや出場選手のレベルを客観的に分析すると、19歳の幸野と三鬼海(みき・かい、右サイドバック)の二人はJ2レベルでも突出している。彼らのボールフィーリングは他の選手よりも鋭く、プレッシャーに感じる距離感が短い。だからこそ、アルディレス監督が彼ら二人を主軸にしてサッカーを構築すれば、もっといいサッカーを展開して、もっといい結果を得られると私は確信している。
 
 日本では技術よりも年齢信仰のようなものがあり、J2クラブはどこも新卒の大学生やJ1で戦力外となったベテラン選手を安い年俸で獲得して平均年齢が20代後半のチーム構成となっている。幸野や三鬼のような10代の選手が町田で、J2で活躍することは、これまた何となく日本に蔓延するベテラン信仰に一石を投じることになる。
 
 選手にとって本当に大切なことは、年齢でも経験でもなく、高い基礎技術と鋭利なボールフィーリング。それを身に付けていれば、いわゆるポゼッションサッカーと呼ばれるスタイルで、ボール運びと同時に試合運びを安定化させることができ、勝利の確率を高めることが可能となる。そういうスタイルで結果を残すチームが現れれば、今のように同じ顔ぶれのベテラン監督ばかりが並ぶJリーグの監督人事もいい意味で変わっていくだろう。
 
 「若手だから抜擢する」のではなく、「基礎技術が高く、将来性ある若手だから抜擢する」文化が特にJ2で生まれてくれば、J1レベルではまだ早熟だけれど将来的には間違いなくJ1や日本代表クラスのタレントとなる選手たちがJ2でもっと躍動し始めるだろう。
 
 そういうスター候補生たちを試合で使いながら育てることができるようになれば、J2主導で「育てて売る」アイディアや仕組みがもっと創出されてくるはず。以前から主張している通り、J2にはアンダーエイジ枠を数枠設けて、例えば「21歳以下の選手を1試合で2名以上使う」といったルールを制度化してもいいと考えている。
 
 今のように基礎技術が低く、将来性のない20代後半の平均年齢の選手たちのJ2のゲームには、興行としての魅力も将来性も乏しいのだから。鳥取戦での幸野志有人の活躍というのは、J2というリーグの存在意義やJ2クラブの目指すべき方向性までも考えさせるものだった。


2012年08月23日配信のメルマガより抜粋。メルマガ本文では、この5倍近いボリュームで濃密なコンテンツを取り揃えています。ぜひご購読ください。※

【 @ichiroozawa】日本のGKコーチは、間違いなく上達する ジョアン・ミレット(スペイン人GKコーチ) 帰国前インタビュー  



(株)アレナトーレ





 7月中旬から来日していたスペイン人GKコーチのジョアン・ミレットが、8月7日に帰国した。大阪から始まった講習会はいずれも大盛況に終わり、私が取材のために参加した町田の講習会では北海道からの参加者もいたほど。すでにメルマガで記事にしてきた通り、彼のGKコーチとしての分析力やGKとしての基礎たる正しいアクション、技術の認識レベルは想像をはるかに越えるものだった。


 講習会の模様やそこで伝えられたGKの基礎については私自身もまだ消化しきれていないので、整理できた段階で小出しにしていきたいと思う。本当に、それほど新鮮な驚きと発見の連続で、逆に言うと「日本」というよりも「世界」のGKコーチやGKの基礎のレベルが全く手付かずの状態であることを知らされた。


 ジョアンを見送るべく私も7日に成田空港まで行ってきた。「大きなスーツケース」と言う通り、30キロほどの重量になったスーツケースで当然の如く超過料金を支払うことになったジョアンだが(苦笑)、それ以上に「大きなハートを持ち帰ることができる」という言葉を残して出発ロビーに消えて行った。それでは、本物のGKコーチであり、「GKを準備させる人」の中でも「el mejor preparador del mundo(世界最高のプレパラドール)」であるジョアン・ミレットの日本での最後の言葉に耳を傾けて欲しい。




――今回の来日の総括、評価をお願いします。


ジョアン・ミレット(以下、ジョアン) とてもポジティブなものでした。本当に多くの出会いと気付きのあった滞在で、ホテルのチェックアウト時にも言いましたが、大きなスーツケース以上に大きなハートを持ち帰ることができます。


――ということは、非常に満足してスペインに帰国できるということですね?


ジョアン いや、とても悲しいですよ。満足という感情以上に悲しい気持ちです。なぜなら、日本でまだまだできることがあるとわかったから。ただし、今回の講習会、クリニックに参加してくれた人たちが満足して帰ってくれたこと、講習中に積極的な姿勢を見せてくれたことは大きな成果として手応えを感じることができました。


特に、最後に行なったGKコーチ向けの講習会ではライバルクラブのGKコーチたちがコラボレーションして素晴らしい中身にすることができました。こうしたことが実現したこと自体、スペインではあり得ないことであり、今後もスペインでは見ることがないと思います。GKコーチとしてもう25年以上も働いていますが、これが日本で実現したことに大きな価値と感謝の気持ちを持っています。


――被災地(仙台)訪問も今回の来日の大きな目的でした。


ジョアン 素晴らしい経験をさせてもらいました。来日前から被災地訪問を希望し、それを高田さん(敏志、アレナトーレ代表)が実現してくれました。彼以外にも被災地訪問に協力してくれた多くの方々に感謝申し上げます。その時に行なったGKクリニックでは子供たちと一緒にサッカーを通じて楽しむことができましたし、彼らの笑顔を見ることができました。


ただし、父親を亡くしてから笑顔を失っていた少年との出会いや、防災無線で避難を叫び続けた女性が津波で命を失った現場など、本当に心を痛める現場をたくさん目の当たりにしました。今回で2回目の日本滞在となりましたが、改めて日本の皆さんが持っている寛大さ、優しさに触れることができましたし、だからこそ一人の人間として自分の持っているものは全て捧げたいと想いながら毎日を過ごしました。


――個人的にあなたの講習会に参加することで、同じ「GKコーチ」といえども、「entrenador de portero(GKの練習をこなす人)」と「preparador de portero(GKの準備をさせる人)」がいること、その両者にはっきりとした違いがあることわかりました。


ジョアン それは光栄です。長年、両者の違いを訴えてきましたが、誰もその違いに気付こうとしてきませんでした。「エントレナドール」と呼ばれる「GKコーチ」になりたい人は多いですし、それそれでリスペクトしますが、そういう人にはリーガ1部のトップチームでGKコーチをやってもらいたいと思います。もしくはスペイン代表のGKコーチですね。
もうあなたはわかってくれたと思いますが、そういうGKコーチというのはGKとしての準備である基礎を教えることはできませんから、絶対に子供を教えてはいけないのです。




2012年08月09日配信のメルマガより抜粋。メルマガ本文では、この3倍近いボリュームで濃密なコンテンツを取り揃えています。ぜひご購読ください。※

「第二、第三の永井は十分出てくる」永井謙佑のルーツを探る(6/6)  

 この原稿は、小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」2011年11月23日配信号(通巻第69号)を全文公開したものです。

 話者は永井謙佑の恩師である福岡大学・乾眞寛監督、九州国際大学付属高の杉山公一監督、そして小澤一郎。2011年9月23日、福岡市内のカフェ・ガレリアにて行なわれた「日本の育成が世界を変える!世界から見た日本サッカーの現在(いま)」の後半部分にあたるものです。

 ロンドン五輪での活躍により、永井謙佑が一躍世界的に注目されるようになりました。しかし、決してエリートではなかった永井のキャリアはここまで様々な紆余曲折を経ています。彼の爆発的なスピードはどこで身についたのか、「特別」な存在だった彼はどう育てられたのか? じっくりご覧ください。


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■第二、第三の永井は十分出てくる


小澤 最後のテーマとしてお伺いします。杉山監督は福岡大出身ということもあり、福岡大に合う選手を継続的に送り込んでいる部分もあると思います。
 
 その選手を自分のカテゴリーだけで見るというよりも、上に行った時にどうなるか、そこに合うかどうか、そのサッカーや監督に合うかどうか、そういう目線はあるのでしょうか。自分だけが育てるというよりみんなで、地域で育てよう、あるいは自分たちの周りで育てよう、協力し合って育てようっていう意識が。その辺は、日本のこれからの育成にとって重要なテーマじゃないかと思うんですけれども。
 
杉山 もともと僕は北九州で生まれ育ったわけではないので、チームを強化するうえで選手を連れてくる作業にすごく苦労した1人なんです。やっと今、地域に根付いていて「九国はサッカーをやらせてもらえる学校だ」っていうのが少しずつ浸透していったんですけれども。
 
 そうやって頭を下げたり観て回ったりした中で、僕に共感して選手を預けてくれた指導者のためには、地元の選手を集める場に全国やプロに行って通用する選手が出てくることが必要でした。今回、初めて謙佑が出てきて、やっと一つの突破口が開いた感じです。
 
 僕が地元で集めて来た選手は、今までは県外でやっていたんですけど、それが少しずつ残ってくれるようになった。九州で大学やプロに行って、育っていく。「遠くに行かなくてもやれるんだ」「九州も十分やれるんだ」となるために、これからもやっていきたいと思っています。
 
小澤 九州の風土的に、指導者の間では連携というか、良い意味でのライバル意識がある気がします。縄張り意識やライバル意識はもちろんあるとしても、「皆で切磋琢磨して良い選手を育てよう」という風土はあるんじゃないですか? 
 
杉山 そうですね。高校の指導者でも、決勝戦が終わったあとにその指導者と酒を飲んだり、前の日に一緒に食事したりとか。選手は戦うし、もちろん僕らも本気なんだけど、終わったら「お疲れさん、おめでとう」みたいな。九州の人たちは人情があるというか情に熱いというか、勝っても負けても「まだやるぞ」っていう意識がすごく浸透していると思います。
 
小澤 乾監督、先ほど永井に対して「日本の宝だ」とおっしゃっていたのは、自分が日本の宝を持っているんだと誇示するのではなく、「みんなで育てましょう」っていうメッセージもあると思うんですね。そういう、例えば九国大の杉山監督と一緒に育てる、あるいは彼のバックボーンまで知った上で育てる、という育成についてどうお考えですか? 
 
乾 大学の指導者でも、単に高校での全国大会のベスト◯◯っていうその戦績の経歴だけでセレクションとか選手を獲る大学もあるんです。けど、うちもあえて強くするために関東・関西あるいはそれ以外の地域から選手を獲ってこようと思いませんし、実際見にもいかないです。インターハイも行きません。他地域から来る場合は、本当に事前に見てから決めます。
 
 というのは、十分に九州の選手だけでやっていけるからです。この選手たちに次の目標なり、何を目指せばいいかっていうことさえきちんとやればいい。2009年に全国優勝した福岡大学のメンバーから、9人がJリーグに行っているんです。JFLには3人くらい。
 
 僕は2005年までユニバーシアードと二股やっていたんですけど、2006年から4年計画で「この子たちを育てて日本一になるんだ」というふうに思ってやってきて、2009年に優勝できた。アビスパに入った末吉隼也、宮路洋輔もその1人です。宮路なんか高校2年生のときから「この選手をキャプテンにして4年間戦おう」って思っていましたから。それぐらい、九州の選手で十分に勝てると。
 
 それに九州は東京から遠いですが、博多港から船に乗れば釜山に近いんです。うちもしょっちゅう釜山にいきますけど、韓国に行けば、より強化できます。それに1月2月はJリーグ、Kリーグがキャンプをしに来ます。だから大学なのにJリーグ、Kリーグのチームと10何試合も練習試合ができるんですよ。
 
 さらにアビスパがすぐ近くにあるので、人数が足りない時にはうちの選手が助っ人に行っているんですね。土曜日にJリーグがあったら、日曜日には控え組の出ていない選手が練習試合をする。下手したら、その11人中の5人や6人が福岡大の選手だったりするんですね。うちのレギュラーじゃない、ベンチに入っていた選手が行っているんです。
 
 そうすれば、関東・関西にもできない育成ができる。小澤さんと知り合って、この3年間でうちの選手を4人ずつスペイン1部リーグのチームに送っていますが、「九州にいたってバルセロナを見ているぞ」っていう。そういう視点を持ちたくて、小澤さんの力を借りてやっているわけです。
 
 そうなると、九州の子が東京に行かなくてもいいわけなんです。今は不景気で、親御さんも子供を東京に出すのは大変ですよね。でも福岡大学に行けば韓国に行けて、スペインに行けて、日本一になれて、Jリーガーになれる。だったら、別に東京へ行く必要はないじゃないかと。指導者の人たちとも僕らはコミュニケーションが取れているわけだし、近くにいるわけですから、うそはいえないですよね。
 
 うちがやっていることは、みんな見ている。Jリーガーを出すことだけが評価じゃなくて、杉山先生もプロ経由ですけど、毎年指導者も輩出しているわけです。佐賀東の蒲原晶昭監督もうちの卒業生ですし、佐賀県では佐賀北と佐賀東が決勝で当たるんですが両方とも福岡大学OBなんですね。あるいは、熊本のベスト4のうち2校も福岡大学OBが占めるので、第二、第三の謙佑が出てくる可能性は十分にあるんです。
 
 それぞれの秘蔵っ子を福岡大学に送ってくれて、それがうまく育てばまた第二、第三の謙佑は生まれる。もちろん同じ選手はできませんけど、同じような形での育成はできると思っているし、それは九州にいるからこそできる育成じゃないかなと思っています。
 
小澤 事前に受け取った質問があるのですが、これは乾監督に。「地方のプロチームの目指すべき方向性はなんでしょうか? アビスパはもっと地域に根ざした育成に特化していくべきだと思っています」。そのあたり、どうお考えですか? 
 
乾 アビスパのトップチームの勝ち負けはひとまずおいといて、育成というところで考えますと、下部組織に良い選手たちが集約される仕組みはできつつあると思います。ただ、U-13のところで良い選手を選抜し、18歳まで6年間クラブで育てても、まだもう一つ先がある。そのところが、もう一つ繋がっていない気はします。
 
 そこを上に繋げたい。もちろんアビスパユースからトップに上がることはあってしかるべきだし、それがプロの姿です。ただ、地元であればうちがサテライト的な役割を果たしながらまたトップに送り込んでいくといった、地域や県に応じたJクラブのありかたを発信していけば、新たな形になるのではないかと思っています。
 
小澤 杉山監督にお聞きしますが、福岡でジュニア世代の指導に携わっていますが、それを実現していくために、ジュニア・ジュニアユース市場において必要と思われることはなんでしょうか? 
 
杉山 その年代にしかできないことがあると思うので、その時期その時期にできることってすごく大事なんじゃないかなっていうのが一つと、あとサッカーだけやればいいっていうのはどうなのかなって僕はすごく思うんですね。
 
 例えば今の子って、ボールを投げるのが苦手なんです。フライがヘディングできたり、ピタッと足でトラップできたりするのに、キャッチできない子が多いんです。だから、いろんなスポーツを経験させていく中で「自分はサッカーに向いている」とか「サッカーの中ではこれが活きる」とか、そういうことって大事じゃないかなって思います。
 
<了>

「九州の子は、理不尽に免疫がある」永井謙佑のルーツを探る(5/6)  

 この原稿は、小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」2011年11月23日配信号(通巻第69号)を全文公開したものです。

 話者は永井謙佑の恩師である福岡大学・乾眞寛監督、九州国際大学付属高の杉山公一監督、そして小澤一郎。2011年9月23日、福岡市内のカフェ・ガレリアにて行なわれた「日本の育成が世界を変える!世界から見た日本サッカーの現在(いま)」の後半部分にあたるものです。

 ロンドン五輪での活躍により、永井謙佑が一躍世界的に注目されるようになりました。しかし、決してエリートではなかった永井のキャリアはここまで様々な紆余曲折を経ています。彼の爆発的なスピードはどこで身についたのか、「特別」な存在だった彼はどう育てられたのか? じっくりご覧ください。


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■伝統を否定するのではなく


小澤 日本の育成というところで、話に入っていきたいのですが、杉山監督は今、高体連のほうに先生という形でサッカーの指導者をやられているわけですけれども、教育機関の中での指導ということでご自身を「サッカー監督」として捉えられているのか、もしくはあくまでも「先生の中でサッカー監督の仕事がある」のか。どうお考えですか? 
 
杉山 やっぱり「九州のサッカーってこうだ」「学校の先生ってこうなんじゃないか」な、っていうイメージが強くあること自体がなんか悔しいというか。逆転の発想というか、人がやらないことをやることがすごく好きなんですよ。人と違うことをやってみようぜ、という。
 
 例えば「ウォーミングアップをダンスにしよう」とか、「国立に行ってエグザイルと踊ろう」とかいうと、選手も「エグザイル来るんですか!?」みたいな。もちろん呼んでないけど「行けば来るかもしれない」って言うと、じゃあちょっと踊ろうぜ、ってなる。
 
 そういう発想を持って指導することで、今までやっていたブラジル体操をダンスに変えてみようとか、走るトレーニングが何に繋がってくるのかっていうことで練習が前向きにできるとか。そういう発想の転換が、必要なんじゃないのかなって思います。
 
小澤 その九州、あるいは福岡県の選手の特徴って何かあるんですかね? 例えば、今回U-22で九州出身の選手が5名あるいは6名いるっていう話をさっき乾監督としたんですけれども、良い選手が生まれてくる土壌っていうのはありますか? 
 
杉山 僕は今までのサッカーを否定したいわけではなく、「それがあるからこそ」と思っています。伝統ある指導やサッカースタイルっていうのは、やっぱりフィジカル的にも強いパワフルなサッカーとか、タテに速いとか。
 
 Jのユースチームでは、今の日本サッカー界がやっているようなポゼッションを若い年代からやっていると思いますけど、それができる選手はすごいんですよ。でもできない子もいるんです。じゃあ、そういう選手はどこでどういう風にサッカーをしたらいいのか。違うサッカーをすることによって、新たな能力が出てくるんじゃないか。
 
 そして結局、みんな九州に足を運んで選手を見に来ている。じゃあ、今までやってきたことっていうのは正しかったんですか? と。結局、こういう(個性を持った)選手たちは必要なんでしょう? と。そういう部分を僕らは見せてあげたい。まだまだ荒削りで、指導者や環境に恵まれなかった選手がたくさんいるんですよ、ということを見せてあげたいなと。
 


■九州の子は理不尽に免疫がある


小澤 日本の育成で未だに「高体連がJユースか」みたいな議論があったり、W杯があるごとに「どちら出身の選手の比率が多かった」という議論がありますけど、乾監督はその辺どうお考えですか? 
 
乾 U-18のプリンスリーグや、今年から始まったプレミアリーグなどでも「Jユースが何チーム」だどうだっていう話になるんですけど、そもそも中学生のタレントのほとんどをJクラブが取っているわけです。ある意味、上に行くのは当たり前ですよね。「残りの選手」って言ったら失礼だけど、その選手たちが高体連のチームでやっているということなわけですから。
 
 練習環境も指導者も整った中でやっているJユースのチームが、同じ年代のリーグ戦の上位にいるってことはある種当たり前のことだと思うんですね。プロの人が教えていて、プロの環境でやっているのに、(アマチュアに)負けていちゃ話にならない。
 
 たださっきの話ですが、パスの長さや走る距離といった発想という部分で、その上限なり範囲を決めてしまうと、そこから飛び出さないんですね。
 
 例えば象の足に鎖がついていて、その鎖は杭に打ってあって動けないとします。小さいときから鎖に繋がれていると、「杭は引っ張っても抜けない」って思うらしいんです。大人の象ならそんな杭は簡単に抜けるのに、小さい頃から「抜けない」って思い込むと、逃げないんだそうです。
 
 いろんな指導方法や練習メニューも情報が発達して、みんな同じ練習をしていますよね。すると「パスの長さはこうじゃなきゃいけない」って教えられたり、「転がして足元に全部パスしなさい」って教えられていると、発想や選択肢が狭まってくる可能性がある。謙佑みたいな選手に対しては、足元に出すよりも裏に蹴った方がいいのに。
 
 謙佑のような自然のサッカーを遊びの中から獲得したような子は、そういう既製品、規格のなかで育てられた選手とは違う。九州のサッカーはU-18として完成度は低いし、目が荒いです。失うとわかっているボールを平気で蹴ってしまう。ちゃんと繋げばいいところでも、裏に蹴って「とにかく走るんだ」という風になったりする。
 
 でも、U-22のスタメンの半分が九州出身者というのは、そういう要素もないとサッカーは成り立たない(ということを示しています)。鳥栖スタでは芝を短く刈ったりしていますけど、アウエーに行ったらボコボコな環境でやらなくてはいけない。あるいはこの間のバーレーンみたいに、砂嵐の中でやらなくてはいけない。
 
 夜、眠らせないようにコーランのお経をホテルの真横からスピーカーをこっちに向けてやってくるんですよ。それが中東の戦いです。そうすると「いい条件で、いい環境で、決まりきって予想の範囲内で」やってきた子は、闘えなくなってしまう。そういう意味では九州の子は図太くて、いろんな理不尽に耐えられる抗力や免疫を備えて、この年齢まで来ているんじゃないかなっていう気はしますね。
 
小澤 杉山監督は未だに理不尽なことを課したりするんですか? 
 
杉山 僕は優しいですよ(笑)。課しているかどうか気づかないです。育っていく環境の中で、理不尽さっていうのが間違った方向に行くとまずいので、プラスアルファとして「答えがわかっていて、でもこういうこと言ったらどういう反応するかな」と思って、あえて理不尽なことをすることはありますね。
 
 「ほら出て来たな」「やっぱり切れたぞ」「あ、怒っているな」「いじけちゃったな」とか、そういうのは見ていてわかります。そういうところから選手の資質を見る材料として、理不尽さってすごく大事だと思います。

<(6/6)へ続く>

「香川と同室にしたら、落ち込んで帰ってきた」永井謙佑のルーツを探る(4/6)  

 この原稿は、小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」2011年11月23日配信号(通巻第69号)を全文公開したものです。

 話者は永井謙佑の恩師である福岡大学・乾眞寛監督、九州国際大学付属高の杉山公一監督、そして小澤一郎。2011年9月23日、福岡市内のカフェ・ガレリアにて行なわれた「日本の育成が世界を変える!世界から見た日本サッカーの現在(いま)」の後半部分にあたるものです。

 ロンドン五輪での活躍により、永井謙佑が一躍世界的に注目されるようになりました。しかし、決してエリートではなかった永井のキャリアはここまで様々な紆余曲折を経ています。彼の爆発的なスピードはどこで身についたのか、「特別」な存在だった彼はどう育てられたのか? じっくりご覧ください。


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(1/6)|(2/63/6

■指導者が線を引いてはいけない


小澤 杉山監督の中で、永井っていう選手に出会い、彼がここまで来たことによって、自分の指導者としての何か考え方が変わったりヒントをもらったというのはありましたか? 
 
杉山 謙佑が僕たちの予想をはるかに超えていく成長をしたという点で、自分たちで限界を作ったり、このチームはここで負けるだろうと自分たちで線を引いてはいけないんだっていうことを学びました。本当にあの中体連の地元の選手が、ここまでなるんだっていう。
 
小澤 乾監督、永井が全くJのスカウトや下部組織にかからずにここまで来たっていうことで、Jの指導者とか、スカウトの見方はどうなの? っていうようなことは一つの見方として言えます。しかしそうではなくて、日本にはいろいろな育成のチームやカテゴリーがあり、多様性があるという点で、日本の育成を見た時にはすごくいいモデルケースですよね。
 
乾 そうですね。謙佑が目に留まらなかったというのは、その時々に理由があったと思うので。その時には、まだやっぱり見えなかったんですよね、才能やその片鱗は。その過程で選ばれていないっていうのは、周囲の見る目がないと言っても今さら始まらないので。結果的には杉山監督であり、そしてうちに来てその出会いの中から彼の一番良いところがうまく伸ばされていったことが、今に繋がっていると思いますし。
 
 指導者として先ほど言いましたように約12年間、1年間で100日くらい海外に出ていたので、同世代の世界の選手たちがどれぐらいのレベルか、18歳の時にこれぐらいのレベルの選手が、大学4年でユニバーシアードを経験して、海外遠征を繰り返して、この辺ぐらいまで行くという見通しができました。
 
 だから、足りないところにも目をつぶることができました。「日本人にないものを持っている珍しい選手だから、そこを伸ばしていったら、今までにない選手になるんじゃないか」っていう。
 
 よく言っているのは、「もし10年早く僕が謙佑を扱っていたら、100パーセントつぶしていましたよ」ということです。僕にも余裕がなくて、待てなかったと思います。例えば今ボールが止まらないとか、求めたことができないっていうことに我慢ができず、「なんでできないの?」って見てしまったと思うんです。
 
 先ほどいった、巻がボールを止められなかった時とかね。坪井なんか30メートルを左足で蹴れないですから。「W杯に右足のインサイドキックだけで行ったのはお前だけだ」って言いましたね(笑)。やっぱり何か一つ秀でていれば、後々それが活かされるっていう強い思いがあったので。周りの外野はいろんなこと言いますけどね、「永井って動かないね」「ボールが止まらないね」とか。
 
 でも「誰にも持っていないものがあるでしょ? 日本の誰にもないものがあるでしょ?」っていう。だから、それを伸ばせばいいんだよ、ということを言って来たので。
 
 彼は高校時代と違って、大学に入ってすぐにU-18に入ったので、香川真司(ドルトムント/ドイツ)と同部屋になったんですね。代表スタッフも、その年代の出世頭が香川ですから、早く馴染ませようと思って同部屋にしてくれたんです。
 
 だけどあまりにも香川がうますぎて、「自分はこんなヘタクソで代表に選ばれていいのか」と落ち込んで帰って来たんですよ。まあ今も香川と仲はいいんですけど、自分との違いがありすぎると。だから彼が大学2年ぐらいの時に、スランプというか自信を一時的に無くしたことがあって。彼はそういう時も経験して来ているので、本当にまっすぐには伸びてはいかないですね。
 
 彼が落ち込んだ時に言ったのは、「右肩上がりに一直線で成長する人なんて、世の中どこにもいないよ」と。「次にうまくなるために必ず誰もが経験することなんだ。お前の良さはなんだ?」と。そして、スペトレを本格的にやったのは2年生の夏なんですね。彼は努力をコツコツ重ねてきたタイプじゃないので。
 
 今まで福岡大学からJに行ったやつは「努力型・コツコツ型」で、3年くらいで実を結んで4年で花を咲かすっていうパターンでした。これを「遅咲きの法則」って言っているんですけど(笑)。謙佑は「ただ者ではない」と、周囲はすでにわかっているわけなんですよ。でも本人はわかっていないし、がんじがらめに周りからヤンヤと言っても、そういうアプローチの仕方では本人も嫌がる。だから、タイミングを待っていたんです。
 
 そしてドツボに入った時に「もう一回ベースを作れ」と言って、このトレーニングを始めさせました。3カ月くらいやった後に、U-19のアジア予選に行ったら、当時は柿谷曜一朗(徳島)がエースでした。しかし予選の一試合目の前半で柿谷が怪我をして、スーパーサブだった謙佑が交代で出た。そうしたらいきなり1得点1アシストで、次の試合ではハットトリックをした。そういう、彼の持っている強運が彼を引き上げています。
 
 でもU-19の韓国とやったときは何もできなくて交代させられ、試合も0―3で負けてU-20ワールドカップに行けなかった。可能性の芽を出しながらも通用しなかった、という経験をしたのは、天狗にならなかった一つの要因でした。
 
 そして帰って来た時に、「次はW杯を目指すのか」ということをその時点で言ったんです。「お前にはできるでしょ? だからそこを目指しなさい」ということを言ったんですね。

<(5/6)へ続く>

「高卒時、Jからオファーがなかった理由」永井謙佑のルーツを探る(3/6)  

 この原稿は、小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」2011年11月23日配信号(通巻第69号)を全文公開したものです。

 話者は永井謙佑の恩師である福岡大学・乾眞寛監督、九州国際大学付属高の杉山公一監督、そして小澤一郎。2011年9月23日、福岡市内のカフェ・ガレリアにて行なわれた「日本の育成が世界を変える!世界から見た日本サッカーの現在(いま)」の後半部分にあたるものです。

 ロンドン五輪での活躍により、永井謙佑が一躍世界的に注目されるようになりました。しかし、決してエリートではなかった永井のキャリアはここまで様々な紆余曲折を経ています。彼の爆発的なスピードはどこで身についたのか、「特別」な存在だった彼はどう育てられたのか? じっくりご覧ください。


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(1/6)|(2/6


■「とりあえずは怒らない」指導法


小澤 乾監督、日本でよくありがちな、例えば「足は速いんだけど……」というような評価が日本ではすごく蔓延していますけど、まずは長所を伸ばしていって、最終的に短所の部分も伸ばす、そういうような評価がこれからは大切ですよね? 
 
乾 18歳の時点で完成形の選手というのは、たとえるなら花屋さんの花みたいなものなんですね。綺麗に咲いていて、誰が見ても「ああ綺麗だね」ってなる。高校3年生までに整っている選手は、誰が見てもいい選手なんです。でも、もしかしたらそれって「もう一杯まで来ていて、今そういう風に花を咲かせているのかな」というようにも見えます。
 
 謙佑が以前下手だったという話ですけど、こないだの代表戦だと縦パスが入ったら全部ワンタッチで出して、パスミスは1回だけでした。だけど昔は、大体10回蹴ると9回はミスするぐらい。前を向いて走るのはいいんですけど、足元でボールを止めたり、周りにパスすると大体10回のうち9回はとられたんです。こういうのは、本当に周りが我慢できないくらいイライラするんですよ。
 
 その代わり、試合で1回もしくは2回そのスピードを見せるシーンというのは、誰にも真似できないものでした。そこをどう評価するか。「あの子はボールを受けられない」「繋げない」っていう風に思い込んだら、「永井って足は速くても難しい選手だよね」ってたぶん評価してしまうんですね。
 
小澤 そういう評価が、大学である程度認められるまで、例えばカテゴリー別の代表で選ばれないとか、Jリーグからオファーが来なかったことの理由なんですかね? 
 
乾 速さの素材としてはあっても、先ほど言ったようにまっすぐにしか走れないとか、サッカーの理論でいう駆け引きとか、いわゆる常識的に「ここはこうすべき」というプレーをやらない。「本当にこの選手は伸びていくのか」という点で、意見は分かれていたと思いますよ。
 
小澤 そういう意味で、杉山監督は永井が人とは違うものを持っていて、技術的にはあまりうまくなかったことに気づいた。しかし、短所を指摘してそういう部分を無くそうというよりも、スピードとか動きのちょっとした考え方の発想の違いで、指導していかれた。そういう指導法の哲学は、どういう形をお持ちですか? 
 
杉山 哲学というほどではないんですけど、福岡県っていうのは強豪校、出来上がっているチーム、あるいは伝統あるチームというのがすごく多いです。同じことをやっても絶対勝てない、それじゃあどうするかという発想から、「ドリブルの得意な子はドリブルしていいよ、その代わり絶対取られな、倒れるな、人よりも走れ、取られなかったらずっとやっていい」とか。

 あるいはパスは下手だけど身体を張れる選手だったら「ずっと身体を張っていろ、その代わりゴール前で逃げたら絶対に許さんぞ」というように、お互いの特徴を認めあうチーム作りを目指しています。
 
 そういったチームの中で、謙佑は「足が速いんだから、裏に蹴っていれば追いつくだろう」ということを、当時ボールを持てた子たちに教えてもらったんですね。「俺がここに出したら走ってくれ」とか、そういうことをお互いが学習して認めてきたんです。
 
 ダメなところがあっても、とりあえずは怒らない。パスミスするのはわかっているし、シュートミスするのもわかっている。キーパーと1対1になって外しても、あいつは「仕掛けることと、シュートを打ってチャンスを作ること」が仕事だから。外しても、誰も何も言わない。その代わり、もう一回行ってくれという。ミスをしてもいいけど、取られたら取り返せ。そこら辺が今のチーム作りのきっかけであり、謙佑のスタートでもありました。

■「ダメな天然」ではなかった永井


小澤 永井は高校時代、プレイヤーとしてではなく人間としてのパーソナリティはどういうものでしたか? 今とほとんど同じでしたか? 
 
杉山 最初のころはすごく身体も小さくて、幼かったので、やんちゃなクソガキというタイプの子でした。だけど本当に前向きというか天然というか、「まあいっか」と考えられるタイプでしたね。選手権に行ったときも、3年生になると僕らと対等に会話ができるぐらい大人になっていました。
 
 例えば冬場、雪が降って寒い時、全国大会前だったので風邪を引いても困るし「今日は辞めるか」ってウォーミングアップ前にちょっと投げかけてみたんです。真面目な子たちや自信のない子は「いや、頑張ります!」と言うんですけど、謙佑の場合はすんなり「辞めましょうか」って。結局、その日の練習は中止になったんです。そういうことが平気で言えるような、「明日もあるし、急に下手にはなんないでしょ」っていうふうに、乗っかってくる子でした。
 
小澤 乾監督にお尋ねしますが、大学時代の永井はまさにそういうような、監督としてのリスペクトはしながらも、ある程度は対等にモノを言える選手だったんですか? 
 
乾 天然は天然でした。ただ、彼の扱い方をどうしようかなって考えながらやっていたんですけど、人間的な部分でダメな天然じゃないんです。いろんなところに行っても「なんだあいつ」「おかしなやつ」「変なやつだな」って言われたことはないんです。
 
 その理由の一つは、なんだかよくわからない笑顔で、にこーってするんですね。その笑顔が、人を引きつけているのかなって思います。もう一つはブラジルでお父さん、お母さんをはじめとした家族以外に、周りに日本人がいなかったので、家族の絆はすごく強かったんだと思います。家族間の会話も多かっただろうし。
 
 だから人なつっこさがあったり、年上の人や先輩、先生にはきちんと「リスペクトしているな」と感じさせる対応をする。かといって、言われたことを何でも言われたとおりにやるわけではない、鈍感力っていうか、図太さみたいなのは持っていましたね。
 
小澤 あとは杉山監督に以前聞いた時には、直感力っていうか、場の空気をすぐに察知した上での行動がとれるような性格もあったということでしたが。
 
杉山 そうですね。「怒られる」っていう時には、「おい、やろうぜ!」っていうような声をかけられたり、ヤバい時はよく周りが見えていますね。怒られている選手がいたり、落ち込んだりしている選手がいたら、声をかけにいったり。そういうところはすごく敏感でした。「人のために何かしてあげよう」という、人を引きつける何かを持っているんじゃないかって思います。
 
小澤 そういう意味では、チームメイトからすごく慕われる選手だったんですか? 
 
杉山 そうですね。だから、あいつが今の立場まで来てプロ生活をしていますけど、やっぱり高校に寄って顔を出した時には、先生たちと生徒のように会話します。昔の後輩や友達とかをすごく大事にするタイプなので、そういうところで周りが応援しますよね。

<(4/6)へ続く>

「こいつは、化けなくてはいけない」永井謙佑のルーツを探る(2/6)  

 この原稿は、小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」2011年11月23日配信号(通巻第69号)を全文公開したものです。

 話者は永井謙佑の恩師である福岡大学・乾眞寛監督、九州国際大学付属高の杉山公一監督、そして小澤一郎。2011年9月23日、福岡市内のカフェ・ガレリアにて行なわれた「日本の育成が世界を変える!世界から見た日本サッカーの現在(いま)」の後半部分にあたるものです。

 ロンドン五輪での活躍により、永井謙佑が一躍世界的に注目されるようになりました。しかし、決してエリートではなかった永井のキャリアはここまで様々な紆余曲折を経ています。彼の爆発的なスピードはどこで身についたのか、「特別」な存在だった彼はどう育てられたのか? じっくりご覧ください。


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(1/6)を読む

■「こいつは、化けなくてはいけない」


小澤 永井は高校3年生の時に初めて選手権に出場したのですが、当時のチームではどういう位置づけだったのでしょうか? 
 
杉山 一番下手でしたね、サッカーの技術的に見たら。スタートの11人で11番目。僕はプリンスリーグで後半勝負させるために、夏の暑いときは後半によく使っていました。彼は90分走れる選手ではなかったので、最初から出しても最後までもたなかった。だったら相手がきついときに出した方がいいな、と。90分通して戦える集中力や能力はまだまだで、技術的に上手い選手はうちの中にたくさんいたので、そいつらから怒られながらサッカーをしていました。
 
小澤 本人は「高校時代、まさか自分がプロに行くとは思っていなかった」という言葉を口にしています。杉山監督は、永井の選手としての素材をどのように評価していましたか? 
 
杉山 「こいつは化ける」というのはすごく感じていたんですけど、「化けてほしい、化けなくてはいけない」という気持ちもありました。彼が進学をする際のポイントも、そこでしたね。
 
小澤 杉山監督に以前お話を聞いた時、永井に対するアドバイスがすごくオリジナルで面白いと感じた部分があります。例えば「DFラインとヨーイドンで勝負するとオフサイドになってしまうから、事前に走るな」ということだったり。
 
杉山 そうですね。「パサーとDFラインを同一視野に入れて、いい動きをする」という、日本のサッカーのコーチングがあると思うんですが、あいつはそういった指導を受けたことがなくて、そのまま走るといつもオフサイドになっていました。
 
 だから「お前はヨーイドンで走ったら勝つんだから、ボール出てから走れば追いつくだろ」と。しかしドリブルをするといつもゴールラインを割ってゴールキックになっていましたね(笑)。そこで「まっすぐ走るからだろう、横に走ってみろ」「斜めに走れ」「切り返してみろ」とか、そういう初歩的な、小学生に教えるようなことを伝えました。
 
小澤 そういう発想ができたっていうのは、監督自身の選手としての経験もあったからではないですか? 
 
杉山 そうですね。僕もしょっちゅう同じオフサイドにかかっていましたから(会場笑)。
 
乾 この間の鳥栖スタで行なわれたマレーシア戦で2点目に絡んだとき、マレーシアのDFラインから1人だけ後ろに下がっていました。きれいにオフサイドラインの上に立って、飛び出さず我慢していました。成長しましたね。あれだけスペースがない中で、しかもオフサイドラインぎりぎりのディフェンダーの見えない位置に立っていた。実に冷静な判断だったと思います。


■1人で抜けるなら、行けばいいんだ


小澤 その永井の成長のプロセスで面白いのは、乾監督が杉山監督から「こういう選手がいる」っていうことを事前に聞いた上で、「どう育てようか」というところまで考えて獲得し、入学させている点です。その辺りのお話をお聞かせください。
 
乾 謙佑が入学してきたのは、2007年です。そして僕がユニバーシアードの代表監督を務めたのが2005年なんですね。1995年の福岡大学から12年間ぐらい日本の大学生のトップの選手たちをずっと観てきて、さらに同世代の世界の選手たちとずっと試合をしてきたので、その年代で「これぐらいできる子はこの辺まで行く」というのは見えていました。
 
 例えば岩政大樹(鹿島アントラーズ)や藤本淳吾(名古屋グランパス)、伊野波雅彦(ハイデュク・スプリト/クロアチア)とか羽生直剛(FC東京)とか坪井とか。岩政なんて、本当に30メートルボールをまっすぐ蹴れなかったですから。巻(東京ヴェルディ)なんて胸トラップしたら10メートルぐらい行っていました。それで地面スレスレのボールをダイビングヘッドするじゃないですか。なので、入団の時に「利き足は頭です」って言えっていったら本当に言っていましたからね(会場笑)。
 
 そのぐらい元はヘタクソなんです。だけど、何か秀でたものがある選手は、必ず短所を補っていって最後は大成する。例えば謙佑だったら、あとは出してもらって走ればいいわけですから。僕はすでにそういった選手を10数年見て来たので、謙佑のレベルの素材だったら、4年間でこいつは日本代表になるんじゃないか、いやならなくてはいけないと。
 
 海外で、相手を「自分で抜こう」と思って抜ける選手ってそういないんです。パスサッカーをしなくてはいけないのも、個人で抜けないから。でも、個人で抜いて点が取れる選手がいれば、個人でいけばいいのです。それが出来る、日本で数少ない選手になるんじゃないか、そういう選手にしなくてはいけない、と思い描いていましたね。
 
小澤 永井の高校時代は、全くJリーグのスカウトから声がかからなかったのですか? 
 
杉山 いや、「なんでうちの学校(九国大付属)が九州大会、プリンスに出たのか」ということで、興味を示したスカウトも何人かいたんですね。だけど、やっぱりスカウトも「速いけど荒削りだし、上手くない」という風になって、正式オファーには二の足を踏むところがありました。実際、地元のチームも追っかけて見てはくれたんですけど、まあいろいろな時期でもあったので、具体的な話はなかったですね。 



<(3/6)へ続く>

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