スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【 @ichiroozawa】育成年代だからこそフィジカルトレーニングは必要 三栖英揮フィジカルコーチ インタビュー(下) 

小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」第134号(2013年03月21日配信号)より抜粋※


 



(株)アレナトーレ



<(上)より続き>


――長友選手の体幹トレーニングが注目されていますが、トレーニングを積むことでしっかりとした身体は作れるのでしょうか? 
  
三栖フィジコ 身体能力というものは、最後は遺伝的な要素があります。しかし、それが全てではありません。中学校の時に足の速い子がずっと速いわけではありません。発育が遅いだけで、トレーニングを行なうことでスピードが出る選手も当然います。18歳くらいまで特徴は見えないので、最終的にどのような特徴があるのかということはもう少し長い目で見る必要があります。 
  
 私は常にいろいろな刺激を与え続け、身体の変化を見極めて特徴を見ますが、それは身体の成長が落ち着く18歳くらいまで待つべきです。それを早い段階で「足が速い」、「身体が強い」と判断してしまっています。本来ならもっとスピードはつくし、身体も強くなります。それこそ、陸上の選手は大学生になっても記録を伸ばしているのですから。サッカーはゼロコンマの数字を争っているわけではなく、予測や認知によってスピードが変わってきます。となると、もっとスピードがつくはずですが、スピードを鍛えることに興味がないわけではないと思いますが、日本のトレーニングはスタミナ系のものが中心です。 
  
 それもただ長い距離を走るだけで、どれくらいのスプリントの本数を増やすのか、スプリントのスピードをどれくらい上げるのか、そういったことはあまり重視されていません。これはユースまでに取り組んでおくべきことだと思います。その中で変化が起こるはずなので、そこで初めて選手の特徴が決まっていきます。日本人にはフィジカルを正しくトレーニングすれば、もっともっと良くなる選手がいると思います。 
  
――三栖さんのトレーニング・コンセプトはどういったものですか? 
  
三栖フィジコ いかに試合中のスプリントの本数を増やすかです。もう一つは、いかに身体をしなやかに動かせるか。サッカーというのは特殊な競技で、片足で何かをする時間がもっとも長いスポーツです。ターンの仕方にも言えます。普通であればそのまま回れば良いところを、視野を確保しながらターンしなければいけない状況があります。 
  
 必要な情報量の多さを考えると、身体の使い方がすごく大切になってきます。身体をうまく使えるようになるには、ただ単に筋力をつけるのではなく、身体の使い方がうまくなるトレーニングが必要です。なかなか難しいところですが、どうすればしなやかに動かせるかというのは常に考えていることです。 
  
――國學院久我山高の李監督は、「三栖フィジコのトレーニングの成果が出てきた」と言っていますが、三栖さんにもその手応えはありますか? 
  
三栖フィジコ 今の3年生がちょうど3年目で、今までなかったトレーニングが習慣として入ってきました。タイミングでいくと、18歳というのは大体の人の成長が落ち着く年齢です。彼らは1年生から見てきたので、どういう特徴になっていくかはある程度見えてきています。トレーニングとしても、彼らは意欲的に理解して取り組むことができます。私のキャリアの中では手応えのあるチームだと感じています。 
  
――國學院久我山高の選手は、「なぜこのトレーニングが必要なのか?」を理解する力が高いと想像しますが? 
  
三栖フィジコ こちらからのコミュニケーションも、言葉で成立します。あとは、チーム全体がそういうチームであることも大きいです。私がやりたいこととコーチの間にギャップがあると、どうしてもうまくいかなくなります。サッカー面を考えても、久我山のようなサッカーの方が局面を迎える数が多くなるので、身体の使い方というのが頻繁に出ます。これがロングボール主体のサッカーになると、私のトレーニングの必要性がなくなってしまいます。久我山がああいうサッカースタイルだからこそ、私としても(トレーニングを)見やすいし、選手としても(成果が)出やすいという部分はあると思います。 
  
――ポジションや選手によってトレーニングのやり方を変えることはあるのですか? 
  
三栖フィジコ 身体ができあがったトップの選手なら、それもアリだと思います。ただ、高校生はまだどう変化していくのかわからないので、一定の刺激を与え続けて変化を見ています。ポジション別の技術的な部分は、他のスタッフの理解もあるので、試合の合間や練習中に声をかけることがあります。「練習で取り組んでいるのは、今のプレーで必要だからだよ」という話です。


 そこを話せると、選手も具体的にどの場面で必要なことなのかが分かり、普段の練習をより意欲的に取り組むことにつながります。そこは変えるというよりも、試合を見ながらですね。ここにはテニスでの経験が生きています。選手たちのモチベーションを上げるようなアドバイスはどういったものか、その大切さを理解することができました。 

小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」第134号(2013年03月21日配信号)より抜粋※

スポンサーサイト

【 @ichiroozawa】「GK製造工場長」が日本で新プロジェクトを始動 

小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」第134号(2013年03月21日配信号)より抜粋※

撮影:(株)アレナトーレ



 スペイン北部バスク自治州にある人口約1万6千人弱の都市ゲルニカにあるゲルニカSD(スペイン4部)で長年GKの育成に携わり、同クラブ自体を「GK製造工場」と呼ばれるまでに育て上げたGKコーチのジョアン・ミレット氏。昨夏に来日した時のクリニックの様子やインタビューは何度か当メルマガでも取り上げたが、実は2013年シーズンから湘南ベルマーレと契約を結び1月から日本で働いている。 
  
 「アカデミーGKプロジェクトリーダー」という肩書きで湘南アカデミーのGKプロジェクトを新たに構築するところから着手し、すでに選手やアカデミーコーチ陣から全幅の信頼を得ているジョアンと今週久々に再会することができた。18日、BSスカパー!『フットボールクラッキ』の番組収録の場で数カ月ぶりに会ったジョアンは、すでに湘南で新たなプロジェクトに関わることのできる喜びとやる気に満ちあふれていた。番組については、「世界最高のGK育成論」というテーマで4月9日(火)に放送予定である。 
  
 その番組収録前の打合せでも、昨夏の来日時の最後の見送りで行なったインタビューで触れたGKコーチ向けの特別講習会についての話題が上がった。そのインタビューで、「非常に満足してスペインに帰国できるということですね?」という質問を受けたジョアンはこう答えている。 
  
 「いや、とても悲しいですよ。満足という感情以上に悲しい気持ちです。なぜなら、日本でまだまだできることがあるとわかったから。ただし、今回の講習会、クリニックに参加してくれた人たちが満足して帰ってくれたくれたこと、講習中に積極的な姿勢を見せてくれたことは大きな成果として手応えを感じることができました。 
  
 特に、最後に行なったGKコーチ向けの講習会ではライバルクラブのGKコーチたちがコラボレーションして素晴らしい中身にすることができました。こうしたことが実現したこと自体、スペインではあり得ないことであり、今後もスペインでは見ることがないと思います。GKコーチとしてもう25年以上も働いていますが、これが日本で実現したことに大きな価値と感謝の気持ちを持っています」 
  
 神奈川県内の某スポーツ施設に集まったGKコーチ10数名向けに特別開催された講習会は、一般向けの講習会に参加し、ジョアン流の指導法に衝撃を受けGKコーチたちが中心となり開催にこぎつけたもの。一般の参加者は募らず、「GKコーチを生業としたい者」たちの中でも選ばれし者たちだけが参加を許されたクローズかつハイレベルな講習会となった。 

小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」第134号(2013年03月21日配信号)より抜粋※

【@ichiroozawa】「日本人の身体能力は低い」はあまりに安易な発想 三栖英揮フィジカルコーチ インタビュー(上) 

小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」第133号(2013年03月14日配信号)より抜粋※

――三栖さんの職業表記は「フィジカルコーチ」でいいのですか?
 
三栖フィジコ そうですね。日本だとフィジカルコーチというライセンスはありませんが、私はフィジカルコーチになりたくてスタートしているので、そういう考えでいます。
 
――「フィジカルコーチ」とはどういうものなのでしょう?
 
三栖フィジコ 何かをさせるというよりも、身体の準備をするための情報を与える人間です。筋力トレーニングをさせる人ではありません。スペイン語でもそうだと思いますが、フィジカルコーチとキーパーコーチは「プレパラドール(preparador)」と表現されます。例えば、ウォーミングアップを始めるタイミングなど、身体の準備をする情報をいかに与えていくかが私の仕事だと思っています。英語だとフィットネスコーチなどになりますが、サッカー圏の言語では「準備をする人間」という表現になります。
 
――日本では資格も概念自体もなく、今まで苦労もあったと思います。そういった環境の中でどのような取り組みをしてきたのでしょう?
 
三栖フィジコ 知識がなかったので、まずそこを増やそうと思いました。当時、専門書は限られていましたが、ひたすら本を読みました。他には何でも見に行きましたね。海外に行くことも考えましたが、それよりも知人のコーチから頂いたクルゼイロの育成年代のフィジカルトレーニングの資料や、当時多く出版されていたドイツの翻訳本に目を通していました。私たちが勉強しているのは、多くがアメリカのスポーツ医科学の情報です。それと比べてみても、原理原則は同じですが、方法論は全く違うものを感じました。おそらく、その国で置かれている状況の中でスポーツ医科学が発展しているので、こういった違いが出るのだと思います。それを見た時に、海外に行って学ぶよりも、今の日本の中でできることを探していかなければいけないと感じました。
 
 私はJクラブのアカデミーよりも学校体育の方に興味がありました。私自身、学校に行かないでブラジルに行ったことも影響していると思います。ブラジルの選手が何に困っているかというと、勉強ができないことです。プロまでいける選手が限られている中で、読み書きができないような選手もたくさんいました。
 
 では、日本の良さは何かと考えた時、学校の部活が整備されているところです。逆に一番不足しているのがハード面で、それはJクラブが補える範囲も限界が見えています。日本の中で一番ハード面が充実しているのは高校なので、部活を中心に見るようになりました。
 
 しかし、私自身も部活の経験がなく、周りも否定的に見る目が多くありました。それでも私は部活が日本の良い面だと考えました。なぜなら、そこにもっとスポーツサイエンスを整備する方法を探っていく方が、日本の良さがもっと伸びると考えたからです。部活の中でのフィジカルコーチというスタイルを作れば、日本全体のベースアップになると思います。
 


 

(c)Ichiro Ozawa


――専門学校で取得した資格はどのようなものですか?
 
三栖フィジコ 日本には(日本体育協会公認の)アスレティックトレーナーという資格があり、この資格は幅広い分野をカバーしますが、どちらかというとメディカルの側面が強いものです。当時トレーニング専門の資格はなく、トレーニング系はほぼ独学ですね。日本で受験ができる アメリカの団体のライセンスもありましたが、トレーニングやコンディショニングについて専門的に学べる環境は少なかったように思います。やっと少しトレーニングについて勉強する環境が整ってきたように感じます。
 
――独学で進めていくしかない中で、影響を受けた人はいますか?
 
三栖フィジコ 私にとってのフィジカルコーチは、「ブラジル人」のイメージが強いです。ただ、サッカーのフィジカルコーチはサッカーに特化しすぎていて、トレーニングやコンディショニングという専門分野から見ると少し専門的には落ちる感があります。ブラジルのコーチのイメージは持ちつつ、いろいろな人や競技も参考にしながら勉強してきました。そのためサッカーのフィジカルコーチで「この人!」というのはあまりないですね。

※つづきは小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」にてどうぞ!※

「自分が一番好きな街のもの(パエージャ)を一人でも多くの人に伝えたい」 パエージャ料理人Kuni(Vale Paella)インタビュー 

小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話
第131号(2013年03月01日配信号)より抜粋※

Kuni(Vale Paella)
                 (c)Ichiro Ozawa

スペイン、バレンシア地方の郷土料理であるパエージャを完全再現した
“日本初のパエージャ専門店”:
Vale Paella(バレ・パエージャ)Facebookページ


【プロフィール】“Kuni”
1979年12月生まれ、京都出身。19歳でミシュランの一つ星を獲得している京都の名店“よねむら”に入る。26歳でスペイン、バレンシアに渡り、バレンシアの数々のレストランで修行を積む。2013年1月に帰国しVale Paellaのグランドオープンと同時にパエジェロ(パエージャ料理人)に就任。若手実力派パエジェロである一方、大のバレンシアCF好きとしても知られる生粋のバレンシアニスタ。


――日本では「パエージャ」より「パエリア」の方が一般的な呼び方です。Vale Paellaでは、なぜ「パエージャ」という呼び方をするのですか? また、日本のスペイン料理レストランで「パエージャと」呼んでいる店はあるのですか?

Kuni
 おそらく、ないと思います。スペインではマドリードでも「パエーリャ」と呼びますし、「パエリア」は日本オリジナルですでに定着した言葉であり料理です。そちらの方が日本人には通じやすいですから。「パエージャ」と言っても「えっ、何それ?」という人がいて、「パエリアのことです」と伝えるとやっと理解してもらえる現状です。そういう意味でも、当店の存在によって「パエージャ」という言葉が少しでも浸透してくれればいいと思っています。

――パエージャはバレンシア発祥の料理です。語源が「Para ella(彼女のために)」と言われているように、実際には日曜日に家の庭でお父さんがお母さんに代わって作るファミリー向けの料理であり、決して高級な料理ではありません。

Kuni
 発祥は、バレンシア市内均衡の湖アルブフェラたりの水田地帯で、そこで採れる食材を使った料理です。鶏肉、ウサギ、ガラフォン(白色の豆)、モロッコインゲン(緑)、あとはアルカチョファ(アンティチョーク)を入れたり、カタツムリを入れたりします。

その土地で採れたものを地のものを使って調理するので、水もミネラルウォーターではなくて水道水を使うのが一番美味しいとされています。というのも、バレンシアの水道水には、海水に含まれる成分が少し含まれているらしく、日本ではあまりない水道水だからです。それは水道局に勤める父親が調べてくれ、そう教えてくれました(笑)。

――Vale Paellaのコンセプトを教えて下さい。

Kuni
 バレンシアを広めるためには、普段から向こうで食べられているものを作りたいと思っています。よって、今のところ多くのスペインバルであるようなタパス、簡単な小皿のようなものは出していません。

要望があれば柔軟に変えていきますが、基本的にはお客さんに「バレンシアに行ってきた」と思ってもらえるような料理しか置いていません。もちろん、パエージャもそうですけど、すごくシンプルで、素材の良さも引き出した料理を振る舞うことがコンセプトです。素材の良さを最大限活用する。こねくり回さないところがバレンシア料理のいいところなので、本当にシンプルな料理を味わって頂きたいです。

――だからこそ、お米もバレンシアからバレンシア米を輸入すると?

Kuni
 そうですね。どうせこだわるのであれば、全部向こうのものを使いたいというのが本音です。豆の一種であるガラフォンは日本にはなく、今日本で唯一北海道に作り手の方がいて、その農家は当店向けにしかガラフォンを卸していないそうですが、うちのためだけに作ってくれています。バレンシアからガラフォンの種を持って帰ってきたので、店が大きくなればどんどん頼んでいきたいと思っています。

――やはり、オススメの一品は「パエージャ・バレンシア―ナ(バレンシア風パエージャ」ですか?

Kuni
 そうですね。最初に食べてもらって、次来てもらった時に違うものを食べてもらうのが一番理想です。バレンシア風パエージャが当店一番の勝負料理なので、一度は食べてもらいたいですね。

――パエージャ以外でこれはオススメの料理は?

Kuni
 今話したアロス・ア・バンダはシンプルですが、魚介の旨みがギュッと詰まっていて美味しいと思います。あとは、タラのアリエロ(タラのパテ)は日本ではまだ珍しいと思いますが、バレンシアで食べるともっとにんにくがきつい料理です。向こうの味を再現はしていますが、日本人にはあまりにもストレートなにんにくの味になってしまい、苦手な人もいると考えたので、そこは抑え目に作っています。

――パエージャを美味しく味わってもらうために伝えておきたいことは?

Kuni
 バレンシアーナ(バレンシア風)はもちろんですが、基本的にうちのパエージャは一切出汁を使っていません。お肉を焦げる寸前まで炒めて、鶏もウサギも火にかけます。そのあとに野菜を入れて炒めて、トマトをシンプルに潰したものを入れ、水分を飛ばしてピューレにした後、水を入れたものを出汁として使います。

「これ何の出汁を使っているの?」と聞かれた時に、「これはお水から作っています」というとみなさん驚かれます。それだけ旨みが出ているし、お肉も具というよりは出汁を出すための存在、役割なのです。やはり主役はお米なので、最初の40分だけでここまでの味が水から出ているところを味わってもらいたいと思います。最初の炒めが弱いと、やはり出汁も出ないので、作る上ではそこが大きなポイントです。

――「パエリア」を出すお店では、出汁を使って簡単に手間暇かけずに作っているんでしょうね。

Kuni
 それが多いと思いますし、だから僕らはいつも油まみれなんですよ(笑)。あと、日本では魚介系のパエリアが一般的で、創作系も多いですからうちと作り方は変わってくると思います。

――やはり、パエージャは手間暇のかかる、かけるべき料理なのですね?

Kuni
 そうですね。出来上がりはそこまで違いませんが、お米も野菜も鶏などの肉も全てこだわっています。今よりコストパフォーマンスが良いものがあれば変えていきますが、今のところはこのスタイルでやっていこうと思います。


小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話
第131号(2013年03月01日配信号)より抜粋※

【 @ichiroozawa】 サッカーにおけるインテンシティとは? 坪井健太郎コラム(9) 

小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」第132号(2013年03月07日配信号)より抜粋※

 こんにちは。3月に入りましたね。スペインリーグは、ほぼ優勝が決まっていますがチャンピオンズリーグではACミランに対してビハインドを持って来週のセカンドレグを戦わなければいけないこと、さらに監督不在という崖っぷちの状態のバルサと、クラシコを2連勝し勢いの上がるレアルマドリーが対照的な描写をされています。これまでずっとバルサに一手先を取られていたレアル・マドリーのファンも今は楽しい時間を過ごしてることと思います。
 
 今日の夜(この原稿を書いている段階では)、マンチェスター・Uのスタジアムに好調レアル・マドリーが乗りこんでチャンピオンズリーグの第2戦を戦います。第1戦では、残念ながら見せ場のなかった香川選手ですが、先週の試合ではハットトリックを達成していますので頑張ってほしいところです(編集部注:その後、香川は出場せず)。
 
 さて話題は変わり、僕が現地コーディネーターを務める「指導者支援協会海外研修inスペイン」が今年も開催されお手伝いをさせていただきました。今年でスペインは3回目ということで、僕の方としてもだいぶ慣れてきて内容の濃い研修をプランニングできたのではないかと思っています。
 
 今回の研修のテーマは「インテンシティ」を探る旅でした。コルネージャユースCの監督のゴンサロと、エウロパの育成のコーディネーターであるフレディとの対談やもちろん僕も一緒に混ざってミーティングを何回も重ねることで、インテンシティの概念で新たな発見もありました。
 
■インテンシティとはそれぞれの解釈


 インテンシティとは、このメルマガの読者のみなさんは何度か耳にしたことがある単語ではないでしょうか? 福岡大の選手のスペイン研修の記事でも出ていた単語ですね。直訳すると「強度」を表す単語でありながらこの概念は直訳のみでは伝わらないニュアンスです。
 
 日本語で「強度」というと、フィジカルの要素を強くイメージするのではないでしょうか?しかし、スペインサッカーではそれだけではないようです。スペイン人に指導者に「インテンシティとは何か?」と聞いたところ、それぞれ違った答えが返ってきたのも印象的だったことのひとつです。
 
 ゴンサロは「フィジカルとメンタルに分けてトレーニングにおいてコントロールできるもの」と語り、フレディは「相手に問題を引き起こすための驚き」という解釈をしていました。ゴンサロは1週間のトレーニングのインテンシティをどの様にコントロールするのかに対して、フィジカルとメンタルの2つに分けてコントロールし曜日によって調整をして試合に合わせていくということを語り、フレディはインテンシティを「相手に問題を引き起こす要素」としてどうしたらインテンシティを作りだすことができるのかということを語ってくれました。
 
 それぞれのスペイン人にとっても、インテンシティというものは決まった定義は無いようです。インタビューの後日にゴンサロに改めてインテンシティの定義を聞いてみましたが「はっきりとした定義はなく抽象的なものであり、個人の解釈によって違うと思う」というものでした。
 
 また、僕ら日本人のミーティングでまとまっていくインテンシティの解釈とはまた違ったものであり、日本人的視点で僕自身もインテンシティを捉えているのだと確認する機会となりました。今後このインテンシティについては現在定義がないので研究したら面白いものではないかと思います。
 
■複合的な要素が含まれたもの
 
 ここでは、僕が考えるインテンシティとは? について語っていこうと思います。この研修の前では僕の中でのインテンシティの解釈は「速さ」が大きく関係しているというものでした。僕のサッカー観では「早さ」というのは非常に重要度を占める要素なのです。

小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」第132号(2013年03月07日配信号)より抜粋※

【 @ichiroozawa】 「奥深いサッカーだからこそ、“浅く広く”ではなく“深く広く”」 西岡賢一(京都J-マルカFC)インタビュー 

小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」第132号(2013年03月07日配信号)より抜粋※

 



(c)Ichiro Ozawa


 
 
 昨年末に開催された高円宮杯第24回全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会は、ガンバ大阪ジュニアユースが優勝し、ナイキプレミアカップ、クラブユース選手権に続き史上初となる三冠を達成。その全国大会に関西地域代表として2年連続出場したのが京都J-マルカFCだ。
 
 当メルマガで何度か取り上げている通り、Jリーグ発足年となる1993年に生まれた同クラブは私も中学3年で学校の部活を引退した後に一時期所属したことのあるクラブで、長年同クラブを指導する西岡氏は小中高と同じ道を歩んだ一学年上の偉大なる先輩だ。
 
 この取材は、2月11日に開催された京都府高校サッカー新人戦大会の準々決勝の会場で行なったもの。西岡氏が外部コーチを務め、われわれの母校でもある龍谷大付属平安高が久々にベスト8まで残ったということで第1試合の京都橘高と久御山高のビッグマッチの後の第2試合は完全なる応援モードで観戦。(試合は立命館宇治高に2-3で敗れる)
 
 今や京都の街クラブの中では頭一つ抜け出た存在の京都J-マルカからは、すでに大分トリニータのDF阪田章裕(J-マルカ→平安高→立命館大→C大阪→湘南)京都サンガF.C.のDF内野貴志(J-マルカ→野洲高→びわこ成蹊スポーツ大)といったプロ選手も出ており、大会期間中にインタビューを掲載した選手権準優勝校の京都橘MF釋康二(→びわこ成蹊大進学)も同クラブ出身。
 
 京都橘や久御山の選手権での躍進で、今や京都の街クラブの育成力に注目が集まっているが、西岡氏はそうした指導者リストの筆頭に名を連ねる人物だ。今回は、遠くない将来、おそらく京都という枠に留まらず、関西や日本のサッカー界でも大きく注目されるであろう西岡氏のインタビューをお届けする。
 
 
――京都J-マルカFC(以下、J-マルカ)は2年連続で高円宮杯(全国大会)に出場しました。クラブ発足の初期から関わってきた西岡さんから見ても、「街クラブとして相当なレベルまできた」という手応えはあるのではないですか?
 
西岡賢一氏(以下、西岡氏) 相当なレベルというか、「ある程度のところまではたどり着いた」という印象です。あとは、これを繰り返していくことですね。時代の流れで変えていかなければいけない部分と、変えてはいけない部分があり、それは受け継がれていくものです。
 
 どのように時代にマッチしていくのか。タイムリーな話をすれば体罰のこともあります。では、自分たちのクラブとして、人間育成も含めて、どのようなスタイルで活動していくかというのは、他のすべての街クラブや学校教育も含めて、これから問われていく部分だと思います。
 
 ただ、今はここがクローズアップされているだけで、一過性のものかどうかもわかりません。その中にも変えなければいけない部分と、変えてはいけない部分があると思います。それを各クラブ、各学校が独自の色を出し、その理解を得た上でどう進んでいくか、ということになると思います。
 
――J-マルカの次のステップを考えると、Jクラブと競合していくことになりそうですが、街クラブとしてのレベルでは今のレベルが天井だと考えますか?
 
西岡氏 結果という部分で見れば、おそらくここが天井だと思います。全国に2回出場し、今回は清水エスパルスに延長戦で負けました。サンライズリーグでは、ガンバと対戦していますし、そのガンバは三冠を達成しました。
 
 彼らに勝つことはできませんでしたが、ガンバとやって0―1という結果です。結果の部分では街クラブとして行き着くところまで来ていると思います。あとは育成方法に目を向け、どういうスタイルでいくのか、どんな選手を育てるのかを考えることです。それは変わっていくものかもしれませんが、クラブとして目指すべきところはスタッフが入れ替わったとしても変わりません。
 
――現時点でJ-マルカの練習環境は安定してきましたか?
 
西岡氏 以前と変わらず、ナイターのグラウンドを確保しています。ただ、招待される大会のレベルは確実に上がっています。以前は声のかからなかった遠方の大会に呼ばれることもあり、そういうところでこちらが選べるくらいのレベルになっていることは確かです。
 
 それがまたチームの良い効果につながっていて、いい相手と対戦することによって経験値が得られ、それによってチームが良くなっていくという好循環を生んでいます。人数も増えて、各々のレベルに応じた大会を選べるようになってきたので、選手個人に目を当てながら育成を考えられるようになりました。クラブとしての名前が売れた点は、良いことだと考えています。
 
――今後の街クラブの可能性についてお聞きします。例えば、ヨーロッパではJ-マルカほどの強さがあれば、地元のプロクラブと提携して、傘下に入る代わりに資金面でバックアップしてもらうという流れがスタンダードです。日本の街クラブが同じようするのは難しいのですか?
 
西岡氏 可能性はあると思います。ただ、そのクラブがどういう方向を目指すかというのが問題です。自立したクラブという考え方もあれば、地域のJクラブと共存していく考えもあります。実際、J-マルカでもそういった話が持ち上がったこともありました。ただ、今いるスタッフの意見は「自立したい」というものでした。自分たちは自分たちの色を出したいという思いがあったので、そうなると外部に頼らず法人化と言う流れになると思います。
 
 街クラブの可能性という意味で話せば、いろいろなやり方があると思います。一番の問題はスタッフを抱えていけるかなど、環境面をどれだけ準備できるかということ。それをどういう方法でやるのか。Jクラブの資金を借りることも重要ですし、もちろん自分たちでスクール事業を始める方法もあります。
 
 ただ、Jクラブとの提携は文化としてまだまだ根付いていないので、Jクラブの方でもまだはっきりしていません。どんな形で地域を活性化していくのかというところで、Jアカデミーの方針がまだまだ見えてこないことも多いと思います。そういう意味では、今後10年はまだ試行錯誤が続くと思います。そこまで街クラブが生き残ることができれば、また新しい方向性が見えてくると思います。
 
――J-マルカにこれだけいい選手が集まるようになったのは何がターニングポイントでしたか?
 
西岡氏 まずはスタッフの質です。また、スタッフがそろうのと結果が出始めるタイミングが合いました。京都の話でいえば、2013年は大きく変動するクラブがあるので、また戦国時代に入る可能性もあります。5年前、10年前にJ-マルカが経験したような、他クラブから頭ひとつ抜け出すタイミングというのが、人の入れ替わりなどがあるタイミングで巡ってきます。
 
 そのチャンスをいかにうまくつかんでいくかが、クラブ発展の鍵になると思います。もちろん、内部もはっきりしていかなくてはなりませんが、周りとのタイミングもあります。2013年はまたひとつ新しい歴史を作っていく年になるのではと感じています。

小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」第132号(2013年03月07日配信号)より抜粋※

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。