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「私がフリーのサッカーライターを辞めた訳」(後編) 永田淳氏(元フリーランス/サッカーライター) インタビュー 

小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」第138号(2013年04月19日配信号)より抜粋※





写真提供:サッカージャーナリスト養成講座



<前編より続き>

――永田さんもメルマガを発行していましたが、永田さんくらいにライターとしての地位を築いていても運営は厳しいものですか?

永田 長く続けていけば読者も増えたかもしれません。しかし、いざ始めてみると「クラブに迷惑をかけた」ということで、考えていた形で続けることをNGとされてしまいました。私自身が伝えたかったものができず、クラブに気を遣って出すのであれば意義がないと感じたので、支持してくださった読者の方々には申し訳なかったですが、辞めることになりました。

――永田さんはメルマガの使い方をどのように思っていますか?

永田 会社から原稿料をもらって書く場合と違い、ニーズが違って書けないものを書く場所としては適していると思います。クラブのサポーターは、応援するクラブが好きになればなるほどよりディープな情報を欲するようになると思います。ですから、その需要と供給をつなぐコンテンツになり得ます。

例えば、「試合に出ていない若手選手がどんなプレーをしていて、何を考えているか」といったことは、メジャーな媒体での掲載は難しいですが、それを求めているニッチな層も必ずいるわけですから、そういった情報を発信していくにはメルマガは適していると思います。また、文章の量をそれほど気にしなくて良いので、対象クラブに関する大量の情報を配信することができます。そういう意味で、メルマガ運営時は他の媒体を圧倒する情報を提供できていたと自負しています。

――メルマガを休刊するときには読者からの反響も大きかったのでは?

永田 関東をはじめとした遠方のサポーター、普段練習を見られない方からは残念だという声をいただきました。クラブの考え方次第でどうにでもなる部分もあるので、難しいところです。クラブからNGが出ると、それに関連して他の内容まで飛び火することもあり得ますから。

――関西のスポーツ新聞では、Jリーグの情報はどれほど露出しているのでしょうか?

永田 ガンバには毎日のように記者がいました。J1になると、毎日記者が取材していましたから、それなりに取り上げられていました。やはり代表選手がいると扱いは大きくなりますね。ただ、チームの顔となる選手以外の情報についてはほとんど出てこないのが現状です。

サッカー専門誌についても思うことですが、今はJリーグクラブのサポーターの欲求を満たす媒体が本当に少ないのではないでしょうか。書店では、自分の好きなクラブ絡みの記事だけ立ち読みして、買わずに本棚に戻してしまうという光景をよく目にします。万遍なく網羅するのは読者からすればありがたいことですが、どんどんコアになっているファンの視点とはズレがあるのかなと思います。

――永田さんが注目するJリーグライターはどなたですか?

永田 島崎(英純)さんですね。彼の記事は読んでいてすごいと思います。浦和レッズに関する記事は誰にも負けませんし、サッカーだけでなく選手の内部までかなりの事情を把握していると思います。ピッチ内外の両面であそこまで深く入り込めるのは本当にすごいことです。

――Jリーグで働いている人はそれまでもサッカーの仕事をしてきた人たちなのでしょうか?

永田 バラバラだと思います。取材していたヴィッセルは特にそうでした。社長も全く異業種の人でしたから。

――Jクラブのゴタゴタを目撃してきたと思いますが、サッカーの知識もあり経営の能力もあるという人材が不足しているのでは?

永田 選手のことを考えると、やはり知識が豊富な人にいてもらった方が安心できると思います。元選手で色々な経験を積み、良い形でそれをクラブに還元できる人材が欲しいですね。例えば、宮本恒靖さんです。彼が帰ってきたときにどういった効果が現れるのか、非常に楽しみです。それで経営が上手くいくかはまた別問題ですが、そういったことがあって成熟していくと思います。

――出向社長はどのクラブにとっても厳しいでしょう。

永田 出向社長も、本社の方で本当に優秀な人材であれば派遣されないでしょう。扱いに困る人間がサッカークラブに派遣されていると考えると、いろいろと納得できることもあります。元々サッカー経験があったり、スポーツビジネスに詳しい人物でない限り、将来の幹部候補であれば本業に近いところに置いておこうと考えられるでしょうから。

小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」第138号(2013年04月19日配信号)より抜粋※


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「私がフリーのサッカーライターを辞めた訳」(前編) 永田淳氏(元フリーランス/サッカーライター) インタビュー @ichiroozawa 

小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」第137号(2013年04月11日配信号)より抜粋※

 編集部・澤山です。今週と来週にわたり、小澤一郎による元フリーライター・永田淳氏のインタビューをお送りします。
 
 永田氏はエル・ゴラッソ契約ライター、Goal.com副編集長としての仕事を始め多くの媒体で執筆実績を持ち、私から見るといわば「売れっ子」の範疇に入る実力者に見えました。しかし、そんな永田氏が昨年10月、6年半のフリーライター生活にピリオドを打ちました。
 
 これほどの実績を持つ永田氏が、フリーライターからの引退を決意した理由は何か? その理由を聞くに、単なる出版不況だけではないさまざまな要因があることがわかり、同じフリーランスの末席を汚すものとして身につまされるものがあります。それでは、どうぞご覧ください。






(c)Ichiro Ozawa



――サッカーライターを辞めるきっかけは何だったのでしょう?

永田淳(以下、永田) 簡単に言うと、将来的なことを考えてです。子どもが生まれ、このままの状況ではどうかと考えるようになりました。もちろん、可能性は無限にある職業で、これからあらゆる方向に転がっていくことが考えられます。


 しかし、現状を見ると、目の前を生活していく分には問題ないにしても、子どもが成長してお金が必要になってくると厳しいのではないかと思いました。家族とも相談し、まずはフリーで活動することを辞め、同じような仕事をやるにしてもどこかに所属してやることにしようと話しました。

――フリーで活動し始めて何年目での決断なのでしょうか?

永田 新卒で会社に就職し、そこを辞めたのが2006年の9月なので、6年半ほどですね。キャリアとしては会社員時代から並行していた時期もあったので、それも考えるとほぼ7年でしょうか。

――「フリーランスとしてやりきった」という手応えを残して辞めるのですか?

永田 やりきった感はないですね。ワールドカップの取材もしていないので。本当にさまざまなことにチャレンジさせていただいたとは思っていますが、「やりきった」とは言えません。あくまで自分と家族の将来を考えての決断です。

――フリーランスを辞めることを考え始めたのはいつ頃ですか?

永田 一人の社会人として考えた時に、ビジネスマンとしてのスキル、経験を積んでおく必要があるという薄々感じていたことはありました。フリーランスとしての活動でももちろん成長はできるのですが、去年の春から夏くらいに、会社員としてもう一度ビジネスに関わることも考え始めていました。もう一つは家族です。家を買うにしても、フリーのままではローンを組むことも簡単ではないですし、いろいろと負担が出てくるなと。一度組んでしまえばまたフリーに戻ることもできますし、万が一私の身に何かあっても家族は暮らせるので(苦笑)。

 最終的に決めたのは去年の10月です。去年の仕事の選び方を失敗したということもあります。先方からは他と並行しながら取り組めばいいと言われていましたが、実際に始めてみると別の仕事に手が回らない時期があり、そこで今の仕事に疑問を感じ始めました。

――6年半フリーランスで働いてみて、フリーランスのメリットとデメリットを教えてください。

永田 サッカーライターという職業自体はとてつもなく面白いと思います。自分でもサッカーが好きで、見たものを選手や監督に実際に聞けて、それを人に伝えられる。これはすごく楽しいですし、経験を積めば積むほど多くの選手、関係者と知り合い、仕事の幅も広がっていきます。私は環境的にも恵まれていました。はじめはエル・ゴラッソの契約記者という形でスタートし、そこから色々と広げることができました。

 難しいと感じたところは、フリーになれば毎月収入が違うところでしょうか。独り身ならまだしも、家族を持つとそれが不安になることもあります。例えばJリーグや日本代表のアウエーに取材に行くとなると、遠征費は基本的に自腹です。今までは自分で行ってその分他のところで節約すれば済む問題でしたが、嫁には言いづらくなったりもしました(笑)。経費も自分持ちということはその分の収入も必要になるので、カバーするのは簡単ではありません。

――結婚したのはフリーになった後ですか?

永田 そうですね。フリーになってからです。2009年3月に結婚し、子どもが生まれたのが2010年11月です。

――私も去年入籍し、6月に子どもが生まれることになりました。劇的な環境の変化は私も体感しているところです。フットワークも「重くなる」とまでは言いませんが、やはり慎重にならざるを得ません。

永田 結婚しない方が良かったとは絶対にいいませんし、子どもにも恵まれて幸せです。ただ、それなりの稼ぎがなければ支えていくのは難しいと思います。

――今後の職種はどういったものになるのですか?

永田 商社に勤務します。以前働いていた会社でもう一度お世話になることになりました。

小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」第137号(2013年04月11日配信号)より抜粋※

「怒られまい」とプレーする子供たち 強豪・新座片山FCの現状 @ichiroozawa 

小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」第136号(2013年04月04日配信号)より抜粋※

 先週末に駒沢オリンピック公園で行なわれたダノンネーションズカップ2013決勝大会は、横浜F・マリノスプライマリーが優勝し、ロンドンで開催される世界大会の出場権を獲得した。決勝大会の取材には行けなかったが、24日に同会場で行なわれた東京会場予選の取材に行ってきた。

 取材目的は、『ジュニアサッカーを応援しよう!』の連載第1回で取り上げた埼玉県の街クラブ、新座片山FC少年団(以下、新座片山)の試合での様子を見るため。新座片山と言えば、周知の通り昨年8月に開催された第36回全日本少年サッカー大会で16年ぶり2度目の優勝を飾った小学生年代、第4種の「日本一」チーム。また、このご時世でも罰走、げんこつ当たり前の厳しい指導でも名を馳せるクラブだ。

 4チームによるグループリーグを難なく首位通過した新座片山だが、決勝トーナメント1回戦ではチャンスがありながらも得点できず、スコアレスドローからのPK戦で敗れてあっさり敗退したため、決勝大会進出すら叶わなかった。今大会でも新座片山のサッカーは際立っており、現代サッカーに逆行するようなロングボールとロングスローを多用するフィジカル重視のゴリゴリサッカー。

 特に、ハーフコートを超えたスローインは全てロングスローに終始し、新小学6年生にしては高身長のDFの選手を前線に上げ、その選手の頭めがけてひたすら放り込みを続けていた。確かに、この年代ではその攻撃が威力を発揮し、コーナーキックを含めてグループリーグではターゲットマンがバックヘッドですらしたボールやこぼれ球からの得点が多かったのだが、新座片山にPK勝ちしたチーム(Refino)はとにかくゴール前を固め、セカンドボールへの意識も強く何とか守りきった。

 「それもサッカーの一つ」と言ってしまえば確かにそうかもしれないが、個人的に新座片山のサッカーは「もったいない」の一言にしか映らなかった。前線にはスピード溢れるフォワードがいて、得意のドリブルのみならず決定力もある。彼の足元に丁寧なパスを付ければより怖さと厚みのある攻撃ができるところを、みすみす自陣からのロングボールでボール支配率を落としてしまう。

 ざっくり言うなら、「ちゃんとサッカーをしていれば相当強いチーム」なのだが、小学生年代で重要な「将来的ベースとなる」テクニックや戦術を度外視した場当たり的フィジカルサッカーで自分たちの能力、ポテンシャルを半減させるようなサッカーに終始していた。

 ただ、新座片山のコーチ陣からすれば、そのサッカーで昨年は街クラブながらJ下部の強豪チームを退けて日本一を獲得し、長年「強豪街クラブ」として全国に名を轟かせているだけにこの非科学的な指導法から脱却できないのであろう。実際、このダノンカップでの敗戦を受けて、代表である川原嘉雄氏が同クラブのHP上にある『鬼平「げんこつ」のつぶやき』という日記においてこのようなことを書いている。


 「ダノン、東京予選で負けてしまった。PK戦負けだが、負けは負けである。言い訳になってしまうが、今年のチーム、あまりに勝負運がない。実力はある。昨年の6年生のような絶対的エースはいないが、個々の運動能力は高い、チーム全体の力も昨年より上である。

 ところが、大事な勝負になると勝てない。新人戦の時も内容は悪くなかったが、結果、PK戦で負け、今回も試合内容は決して悪くない。こんな言い方は私らしくないが、新人戦も今回も負けた気がしない。PK戦と言え負けは負けで、結果を認めなければならないが、どうも気持ちが、不快である。あまりの運のなさに言い訳じみたことを書いてしまった。みっともない」(2013/03/26の日記、『負け神』より引用)



 続く28日の日記では、春の長距離遠征に向けてこうした内容を述べている。


 「片山が一番大事とする根性、古臭くて時代に合わない言葉だが、スポーツは最後まであきらめないで頑張ること、即ち、頑張る根性なくして勝負は勝てないである。この根性を身に付けるため、片山は練習でも、試合でも、試合の途中でも、終わった後でも、走って、走って、走りまくる。

 それを罰走と捉える保護者もいる。また訳の分らんチームの指導者も、ここぞとばかり批判している者もいる。どこが悪かったのか反省しながら走る。罰走と思いたければ、思えばいい。反省なくして成長はない。持久力も付けば、体力も付く、根性も付く、こんないい運動は他にない」(2013/03/28の日記、『うふ』より引用)



小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」第136号(2013年04月04日配信号)より抜粋※

「テクニックは何歳になっても伸びる」坪井健太郎(スペイン・UEコルネージャコーチ)インタビュー @ichiroozawa 

小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」第135号(2013年03月28日配信号)より抜粋※

 去る2月27日、Amazon Kindleストアにて「誰にでもわかるサッカー説明書~スペインサッカーを日本語に具現化~【テクニック編】」という電子書籍がリリースされた。執筆したのは本メルマガでもおなじみであるスペイン・UEコルネージャコーチ坪井健太郎氏、そしてその友人である森亮太氏。いずれも育成年代における経験と見識、そして問題意識を持つコーチ陣だ。
 
 本書には「誰にでもわかる」というタイトルの通り、サッカーを理解するうえでファンダメンタルな知識を改めて定義する記述が多く存在する。PERCEPCION(認識)・ANALISIS(分析)・DECISION(決断)を経てEJECCION(実行)に移るという「PAD+E」の概念を始め、本インタビューのタイトルでもある「テクニックは何歳になっても伸びる」ということ、ドリブルは2種類ある、サッカーに個人の局面は存在しない、などなど。
 
 とりわけ重要なのは、やはりプレーのプロセスを表現する「PAD+E」の概念だろう。詳細はインタビューをお読みいただくとして、この概念の要諦は「結果だけを見て物事を判断してはならない」「プロセスを注意深く見なくてはならない」と理解した。本書を通じて「PAD+E」で考える習慣を身に付けることは、指導者のみならず生活全般において大きな効果を生むはずだ。
 
 「テクニック編」とあるとおり、本書には続編となる「戦術編」も準備されているようだ。しかし本書を通読するだけでも、サッカーのテクニックだけでなく多くの示唆を得ることができるだろう。テクニック本・戦術本が多く刊行される中、改めてこうした書籍を発表した理由はどこにあるのか? 執筆者の1人、坪井氏にメルマガ編集部の澤山大輔がお話を伺った。(取材日:2013年03月19日)

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「理想のFWは佐藤寿人」 金鍾成氏(イギョラカップ2013 大会技術委員長)インタビュー @ichiroozawa 

小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」第135号(2013年03月28日配信号)より抜粋※

 3月19日から21日までの日程で第23回イギョラカップ2013が開催された。全国からJユースや高体連の強豪チームが16チーム集まり、東京朝鮮高校グラウンドや赤羽スポーツの森を中心にグループリーグが行なわれ、最終日の21日は順位決定トーナメントが行なわれた。
 
 西が丘で行なわれた準決勝には、東京朝鮮(A組1位)、実践学園(B組1位)、流経大柏(C組1位)、三菱養和ユース(D組1位)が進出し、決勝は実践学園と流経大柏の間で行なわれ、流経大柏が2年連続となる優勝を飾った。
 
 今回はまず、昨年も話を聞いた元北朝鮮代表のエースストライカーでジュビロ磐田でもプレーした金鍾成(キム・ジョンソン)氏に話を聞いた。イギョラカップの大会技術委員長を務める金氏は、これまで朝鮮大学の監督を務めていたが、今年度は現場を離れ、在日本朝鮮人蹴球協会の副会長として選手育成や指導者養成のプロジェクトを一任されることになるという。
 
 続いて話を聞いたのは、決勝で実践学園を2-1で下し連覇を果たした流経大柏の高橋隆コーチ。流経大柏は今年も新3年ではなく新2年のみでのチーム編成で大会に臨んだが、今年も圧倒的な選手層の厚さを誇示した。今大会は高橋コーチが任されていたのか、決勝後は本田裕一郎監督がすぐに帰ってしまい、高橋コーチが取材対応してくれた。
 
 

■金鍾成(キム・ジョンソン)氏(大会技術委員長)インタビュー


 
――イギョラカップの成り立ちについて改めて教えて下さい。
 
金鍾成氏(以下、金氏) 元々、朝鮮高校は選手権などの公式戦に参加できなかったので、それに見合った大会をOBたちが作ってあげたいというのと、もう一つはやはり協力関係のある学校で選手権に参加できるよう促していく交流の場というのでこのイギョラ杯は始まりました。
 
――今年で23回目となりますが、Jリーグよりも歴史があり、ユース年代の大会・フェスティバルの中でも価値の高い大会だと感じます。
 
金氏 朝鮮高校が参加している全国的なフェスティバルの中で、23回を超えているものは鹿島フェスティバルと、あとは韮崎の武田の里(編集部注:武田の里にらさきサッカーフェスティバル)があるんですけど、そこの方がもっと長いのかな。
 
――鍾成さん自身もこの大会に出ているのですか?
 
金氏 いや、私は出ていないですね。私が朝鮮高校の監督をしている時にちょうど携わり始めて、今はもうOB会の幹事長なので、企画や運営の方に携わっています。
 
――参加資格、チームを呼ぶ基準は「直近の選手権に出たかどうか」ですか?
 
金氏 基準はないです。ただ、そういうふうになってきたのと、いろいろな要望、事情があるので東京に関しては「選手権に出たところにしよう」となりました。東京の学校は遠方から来るような事情は関係なく、基本的には出場したがるだろうということで選手権参加校にしています。ただし、成立学園高校の場合はグラウンド、運営などの絡みがあって、ずっと出てもらっています。
 
――出場したいと問い合わせる高校も多いのでは?
 
金氏 多いですね。市船(市立船橋高校)も話がありましたし、旭川実業(旭川実業高校)もありました。もう少しグラウンドが確保できれば規模を大きくしても対応できるとは思うのですが、今は(新たに)グラウンドを確保して、会場を分散して規模を大きくするのは難しいですね。
 
――西が丘(国立西が丘サッカー場)で決勝と3位決定戦をやるのは、かなり前からなのでしょうか?
 
金氏 そうですね。東京サッカー協会が第4回大会くらいから共同主催になっていただいていて、そのお陰もあって西が丘もしっかりおさえてもらえています。西が丘は高校生にとってある意味、国立(国立競技場)の次ぐらいのメッカとなっているので。
 
――大会パンフレットを拝見すると、焼き肉レストランを含め、サポートしている企業や人の協賛が多い印象を受けます。
 
金氏 当初は大会予算が1000万円くらいあって、参加チームに対して援助金を出したり、交通費も含めて出したりしていたこともありました。でも今は、一切ありません。まあ、どこのフェスティバルに行っても自分たちでやっていますから。

 あとは、景気の部分も関係しています。今は、OB会がOBたちを集めながら基本的に小口で頑張って、形だけ広告を出してやるとか、どんどんそういうふうに広がっていって、ちょっと落ち着いた状態になりました。

小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」第135号(2013年03月28日配信号)より抜粋※

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