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バルセロナを語る前に必要なこと 

2011年09月14日配信のメルマガより抜粋

 クラブワールドカップで12月に来日するということもあって、メディアの間でバルセロナ特集やバルセロナ本が目立つようになってきた。そういう私もある雑誌のバルサ特集のために先週までスペイン取材に行っていたのだが、来日する頃にはコアなサッカーファンは食傷気味になっているのではないかと予想する。

 どうしても多いのが「バルサのスタイルを目指すべきか?」という問いで、「日本人は身体能力で他国と比べて劣るので、目指すべきである」という回答がこれまた多くなっている。だが、どうもピッチで表面上見えるポゼッション、システム、戦術といった上辺だけのテクニカルな部分の議論で終わっている気がする。

 今のバルセロナのサッカーは誰もが目指すところであり、このサッカーを「アンチフットボールだ」「嫌いだ」という人はまずいないだろう。トレーニングからボールを主役とするメニュー構成で、徹底的にポゼッション力、パスワークを磨き、ボール保持を通じて試合の主導権を握りながらロジカルかつシステマティックに攻撃していく。

 すでに語りつくされた攻守の一体化、切り替えの早さも圧倒的なボール支配率を誇るからこそ、ボールロスのタイミングで圧倒的な人数、集中力、プレスをかけて高い位置でボールを奪い返すことができる。例えば今のバルサのボールポゼッションや攻撃の概念としては「いいボールの失い方をする」ニュアンスに近く、日本でポゼッション型サッカーを志向するチームはあっても、いいボールの失い方にはなっていないことが多い。

 とはいえ、各媒体で掲載されるバルセロナについての記事や本を読んでいくと、「日本ほどバルセロナについて深く考察している国はないのではないか?」という思いを抱く。こちらのリンクで工業デザイナーの奥山清行氏が「ものの本質というのは、実はその中にいる人間っていうのは意外と分かってない」と語る通り、現地バルセロナで議論されている内容よりも深く鋭い内容が日本では議論されているとは思う。

 日本でこれだけバルセロナのサッカーが語り尽くされている理由は簡単で、少々厳しい指摘かもしれないが、各自に自身のサッカー哲学がないからだと思う。哲学がないから「日本はバルサのようなサッカーを目指すべきか?」という抽象的な議論が可能となる。

 その議論をするのがメディアやファンだけならまだしも、指導者やプロクラブの関係者までもが白熱した議論に入ってくるのだから、まだまだ日本という国のサッカー偏差値、文化レベルは発展段階にあると言わざるを得ない。

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