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「“速さ”の質が違っていた」永井謙佑のルーツを探る(1/6)  

 この原稿は、小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」2011年11月23日配信号(通巻第69号)を全文公開したものです。

 話者は永井謙佑の恩師である福岡大学・乾眞寛監督、九州国際大学付属高の杉山公一監督、そして小澤一郎。2011年9月23日、福岡市内のカフェ・ガレリアにて行なわれた「日本の育成が世界を変える!世界から見た日本サッカーの現在(いま)」の後半部分にあたるものです。

 ロンドン五輪での活躍により、永井謙佑が一躍世界的に注目されるようになりました。しかし、決してエリートではなかった永井のキャリアはここまで様々な紆余曲折を経ています。彼の爆発的なスピードはどこで身についたのか、「特別」な存在だった彼はどう育てられたのか? じっくりご覧ください。


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 第62号および第63号の2回に渡り、9月23日に福岡市内のカフェ・ガレリアにて行なわれたサッカートークライブ&交流会「日本の育成が世界を変える!世界から見た日本サッカーの現在(いま)」の前半(福岡大・乾監督×小澤対談)をお届けした。

 そのトークライブの後半は、九州国際大付属高の杉山公一監督も加わり、「永井謙佑」をテーマに鼎談させていただいた。少し時期が遅くなってしまった上に、U-22日本代表で永井の存在感が薄くなりつつあるのだが(苦笑)、今回はそのトークライブの後半部分を掲載する。

 紹介プロフィールにも記載してあるが、杉山監督は福岡大出身の元プロ選手で、ポジションも永井と同じフォワード。乾監督曰く「永井と同じスピードスタータイプ」であるが、その指導法は実に興味深い。

 通常、小中高、大学とカテゴリー毎にぶつ切りとなる日本の育成環境の中で、師弟関係にある2人の指導者が九国大付高から福岡大でしっかりとバトンを渡しあう「育成リレー」を行なっている点も今後のモデルケースとなるだろう。

 今後もこうした軸を持つ指導者への取材のみならず、交流会やトークイベントも積極的に行なっていきたいと考えている。
 
 

(C)村上裕志



乾眞寛(いぬい・まさひろ)
 1960年3月22日、島根県生まれ。筑波大学卒。現福岡大学スポーツ科学部教授・福岡大学サッカー部監督。2005年にユニバーシアード・サッカー日本代表監督として、大会三連覇を果たした実績をもつ。これまで40人のJリーガーと4人の日本代表選手を輩出している。コーチングに定評があり、講演会へのオファーも多い。また、朝日新聞で「乾眞寛のサッカーウォッチ」を執筆し、Jリーグの試合を解説するなど幅広く活躍している。2010年11月、広州アジア大会で日本初の金メダル獲得に大きく貢献し、得点王に輝いた永井謙佑(現名古屋)も教え子の一人。

杉山公一(すぎやま・こういち)
 九州国際大学付属高校サッカー部監督。広島県立廿日市(はつかいち)高校から福岡大学に入学後、4年間乾監督の下で選手としてプレー。現役時代のポジションはフォワード。大分トリニータの前身である大分トリニティでプレーし、引退後指導者の道へ。2006年にU-22日本代表FW永井謙佑(名古屋)を擁し初の選手権出場を決めるなど、九国大付高を福岡県内有数の強豪校に仕上げた手腕は高く評価されている。




■「なぜか」点を取っていた永井謙佑



小澤 乾監督に聞きますが、杉山監督が福岡大学に選手として入学してきた時の第一印象はどうでしたか? また、大学時代の選手としてのプレーはどう評価しますか? 


乾 彼は、広島の県立高校から一般入試で入ってきました。推薦入試、つまり戦力として獲った選手ではなく、勝手に入って来た選手です(会場笑)。4年生の時はキャプテンを務め、プレースタイルは永井謙佑にだぶるような、縦への抜け出しが速い選手でした。
 
小澤 杉山監督は大学時代、乾監督にどのような印象を受けましたか? 


杉山 実績はもちろんあったのですが、当時は僕も乾監督も若かったですから。乾先生の家に上がりこんで意見をぶつけてみたり、上手く行かなかったことや選手のストレスとかを僕らが代弁したり。(意見を)直接言いあえるぐらいエネルギッシュで、しっかりと受け止めてくれる監督でしたね。
 
小澤 杉山監督がスピードのある選手だったということで、まさに今の「永井謙佑とかぶる」ということですが。
 
乾 そうですね。技術的にうまくはない選手でしたが、杉山監督も経験を積んで、だんだんと上達しました。トリニータのJFL昇格が懸かった大事な試合で、彼は決勝ゴールをあげましたし。そういう勝負強さは、謙佑にかぶるところがありますね。
 
小澤 今回のようにインタビュー形式でお二方がお話するのは、初めてではないでしょうか? しかも「出てください」とオファーをした時も、結構渋られていましたし、ここ最近の取材は断っていたとのことですが。
 
杉山 ちょうど謙佑のオリンピック(予選)が近いので、良いことも悪いこともすごく影響力が出てしまうんですね。あまりしゃべらないほうが良いだろうというのと、僕も高校の指導者であり、あまりこういうところで話をするのはどうかなと。とは思いつつ、今日は「ただの食事会だよ」と騙されてきました。(笑)
 
小澤 そういう意味では、皆さんラッキーでしたね(笑)。それでは、永井謙佑との出会いということで、お二方にそれぞれお聞きしたいと思います。まず杉山監督、永井選手の中学時代を見られてから、高校に入学したときのいきさつをお聞きしてもよろしいですか? 
 
杉山 いきさつは、まあ彼のお兄さんがいたからですかね。
 
小澤 ということは推薦ではなく、お兄さんがいたチームだから入って来たということでしょうか? 
 
杉山 いや、推薦で入って来たんですけど、お兄さんがうちにいたことでご両親がすごく協力的で熱心で、試合もよく見に来られていました。その試合を見て、これだけサッカーを一生懸命するチームとは思いもしなかったそうです。
 
 謙佑の兄貴、トシがこれだけサッカーを一生懸命やっているチームがあるということに気づいて、「うちの弟は勉強で高校に行ったらどうなるかわからない」「県立高校にいって、自由にやっていったらどうなるかわからない」「ここは杉山先生に預けるしかない」ということで。お母さんが「こいつを好きにしてください」とのことで、(面倒を)見ることになりました。中学の頃の彼の大会は、見に行っていたんですけどね。
 
小澤 その永井選手の、中学校の頃の印象はどうでしたか? 
 
杉山 すごく身体が小さかったですね。遠くからみていると本当に小さかった。2トップを組んでいた選手が180センチぐらいあって、まさに僕と(大分トリニティ時代にプレーした)ファンボ・カン選手みたいな関係でした。
 
 一応謙佑を見に行っていたんですけど、「でかいFWがいるな」と彼の方を見ていましたね。だけど、なんか知らないですけどチームが勝つんですよ。なぜか知らないけど、謙佑が点を取る。人のボールをかっさらったり、こぼれ球を拾ったり、そういうものを彼は持っていた。小さな選手がゴール前でしっかりと仕事をしていて、「面白い選手だな」という印象でした。だけど、入学するまでの1年間でかなり大きい選手になっていましたね。
 
小澤 入学してから1年間で15センチ伸びたという話を聞いたことがありますが、高校1年生の時にそれだけ成長したということですか? 
 
杉山 成長したというか、ほっといたら伸びたという感じですね。
 
小澤 それに伴って、例えば中学時代は小柄だったのでスピードはあまり目立っていなかったけれども、高校になってそれが爆発的に目立つようになったということでしょうか? 
 
杉山 (当時は)真っ直ぐにしか走れませんでしたが、すばしっこいのはすばしっこかったんですよ。そして、野性味のある選手でしたね。例えば、木にボールが引っかかったら自分でよじ上ったり。あるいはボールがなくなった時、私が「見つかるまで帰れないぞ」と言って、選手たち皆でグラウンドを探させると、必ず謙佑から「あった!」っていう声があって。「お前が隠したんじゃないか!?」っていうぐらい、毎回見つけてきましたね(笑)。
 

■永井に息づくブラジルのDNA


小澤 野性味があるということですが、以前に乾監督から、謙佑は幼少時代ブラジルで過ごした経験があると聞きました。その経験がもしかするとワイルドさ、あるいは素材の良さという点に繋がっているのではないかと。その辺りは、いかがですか? 
 
乾 彼は3歳から5年間、お父さんのお仕事の関係でブラジルにいました。ご両親に彼がどのような生活を送っていたのかを聞くと、やっぱり道ばたで、裸足でブラジルの子供たちとストリートサッカーをしていたそうです。
 
 日本では「道でボールを蹴ったら危ない」って怒られてしまうし、そういう文化もない。そのストリートサッカーでは、子供たちの年齢の壁を超え、ルールも全部自分たちで決めてやっていたみたいですね。空き缶をゴールに見立てたりして、裸足で自由気ままにやっていた。今の日本では、サッカー教室とかスクールもまるで塾のようになっていて、「そこに行かないとサッカーが出来ない」という環境になってしまっていますよね。
 
 謙佑はブラジルの子供たちの中に混じって、見よう見まねで身につけたものが身体のなかにDNAという形で身に付いている。小さい頃に遊び感覚で会得したものがあるんだけれど、本人はそのことに全く気づいていない。記憶もあるわけでもない。だけど、それが今じわじわと目に見えてきているのではないでしょうか。
 
小澤 乾監督が永井を初めて見たのは、どのくらいの時期でしたか? 
 
乾 注意して見るようになったのは高校2年生の頃ですかね。ある程度、速さの頭角を現してきた頃なんですが、当時坪井(慶介/現浦和レッズ)という日本でも“速い”という選手がうちにいて、自分の感覚的に“速い”というのがわかっていたのですね。しかし、また“速さ”の質が違うというか、いわゆる初速が他の選手とは違っていました。
 
 サッカーの中で特に大事なのが、5メートル~10メートルでどれくらいトップスピードに入れるか、トップギアに入れるかというところ。その入り方が、今まで見て来た選手の中でも、見たことの無い部類にありました。そう感じてから、「ちょっと違うな」と彼を見るようになりました。
 
小澤 杉山監督は、どのあたりから「永井のスピードは違う」と感じるようになりましたか? 
 
杉山 練習の最後のリレーとか、合宿でビーチにラダーやコーンを置いて走ったり、ビーチフラッグとかさせたりすると、速かったですね。並んでヨーイドンとすると。そういう部分は、1年生の冬場ぐらいには頭角を見せ始めました。逆に、ロングランは特にダメでした。
 
小澤 それは体力的な部分なのでしょうか、それともメンタル的な部分で、ロングランになるとだるく感じてしまうのでしょうか? 
 
杉山 いや、本当に走っていなかったんだと思います。ただ持っている潜在能力はあったでしょうから、ジャンプ系のトレーニングや階段を走らせていくうちに、持っていたものが目覚めてきた部分がありました。

<(2/6)へ続く>

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