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CL準決勝より 

日本でも当然多くの人が観戦したと思われる、CL準決勝。たまにはこういったテーマについても触れてみます。

ミラン対PSV、チェルシー対リバプール。

大方の決勝予想は、ミラン対チェルシー、ということになりそう。確かに、それが現状の実力から見た数字的に高い可能性。だからといって、数字通りにいかないのがサッカー。

まずは、ミラン対PSVの試合について。

結果は、ミランが2-0で快勝。ただ、後半の内容はPSVが圧倒していた。スペインのマスコミでも、パク・チソンの働きを取り上げる報道が多かった。日本人には既にお馴染み。Jリーグでもプレーしていたし、W杯でも活躍した選手なので。

ただ、スペインや欧州ではその名がまだビッグネームとなっていないのも事実。

昨日、バレンシアのスタッフと話している時、当然、CLの話しも出た。あるスタッフは、

「昨日の試合の日本人、素晴らしかったね~!」

と言ってきた。

「いやいや、韓国人だから…」と返すと、

「あっ、そうなの?!そりゃ知らなかった…」とのこと。

その程度の認知しかなかったらしい。まあ、それは仕方ないことかもしれない。例えば、“マジョルカにいる日本人選手の名前は?”なんてことを聞いても、答えられる人間は少ないと思う。日本では報道されるけれども、スペインでは“日本人”で片付けられるから。名前を覚えてもらおうと思うなら、結果を出すしかない。

スペインではサッカー選手は芸能人並にメディアに露出するが、やはりその露出頻度もプレーの内容や結果による印象を受ける。

例えば、銀河系軍団のベッカム。日本では、プレーシーンよりもCMでの登場回数が多いと予想するが、ここスペインではあまりお目にかかれない。“今日のベッカムは…”なんてニュースもない。昨日は久々に会見があったらしいので、今日の新聞には出ていたが、そういった機会がなければ名前を聞く機会もあまりない。日本のサイトを見ている方が彼の名前をすぐに見つけれれそうだ。

また、スペイン人のサッカーを観る目、選手を見る目は当然厳しい。ベッカムなんてすぐに標的になる。“CMばっか出てないでサッカーちゃんとやれ!”って野次もそりゃ飛ぶはずだ。

ただちゃんとサッカーをやり結果を出した場合、真っ当に評価されるのがスペイン。ここ最近の彼のパフォーマンス、特にその運動量と献身的なプレーは純粋にサッカー選手として評価されているし、私もそれは評価する。

別にCMであり、メディアに出るのはいいんだけど、それもサッカー選手としてきっちり役割を果たすから出れるのであって、あくまで本来の役割を忘れないこと。それが一番大事。

いつも通り話しがそれたので、本題に戻します。PSVはミランと比べると名劣りするのは否めない。ただ、やはりサッカーは名前でやるもんじゃないと実感。グランドの上ではビッグネームだとか年俸だとか代表歴だとかは関係ない。勿論、技術・戦術・フィジカル、色んな要素があるけれど、一番大切なのは見落とされがちな“気持ち”かもしれない。

PSVの選手は、前半にミランに先制され、後が無くなった。ただ、焦るのではなく、アウェーゴールを狙いに行った。アウェーでの1点は2点に値する。だからこそ、後半は選手を代え、システムを変更してまで得点を取りにいき、チャンスを作った。そこには明確な気持ちがあったから。

人間誰でもそうだが、何かをやろうとするにはそのやろうとする気持ちを持たないといけない。脳から末端神経に指令が出なければ体は動かない。“スペイン語を勉強しよう”なんて思わず、“気付いたらスペイン語を勉強していた”なんて人間がいたらまさに神だ。

昨日、バレンシアBの監督との会話でこんな話しを聞いた。

私「今日のトップとのゲーム、Bの方が良かったですね」

監督「確かに。でも、何でかわかる?教えようか?」

私「えっ、理由なんてあるの?コンディションの低下じゃないんですか?」

監督「勿論、フィジカルコンディションは悪いだろう。ただ、考えてみてご覧。体を動かすのはここだよ、ここ(頭を指差して)。そこが動いてないのに、体が動くはずもないだろ。アハハ」


こんな会話をした。つまりは、今のバレンシアのトップの選手はゲーム中に頭が動いていない。体以上の問題がここにあると。確かに、そうかもしれない。この試合を見ても、やはりBチームの選手は“やる気”に満ち溢れている。当然、トップの選手が相手だから。そして、そこで活躍することでトップのロペス監督にアピール出来るから。当然、体は動く、走る、がむしゃらにいく。

一方のトップの選手にとっては、こんなゲームは調整でしかない。怪我をしないことが一番。その次にプレーの内容。結果が一番優先順位が低い。よって、気持ちはそれ程ない。

とはいっても、やる気がないのとは違う。当然、通常の試合同様、ボールや敵を目の前にすれば、激しい当たりを見せるし、B選手に大人気ないファールもお見舞いする。でも、試合への意欲であり気持ちは明らかに違う。それは当然なのだけれども。

日本では古臭い言われ方をしてしまう、“気持ち”だけれど、ミランとPSVの戦いからもそういった側面は見て取れた。はっきりいって、ミランやPSVの試合はいつも観ているわけではなかったし、戦術論や選手個人のプレーについては評価できない。ただ、PSVの特に後半の戦い方からは、彼等の頭が活発に動き、体もそれに呼応して活発に動く状態が見て取れた。

このまま少し発展させるが、日本でのサッカー指導でもこういったことの大切さは再認識される必要があると思っている。スペインで毎日のように練習を見ていて、そしてトップチームだけではなく、Bチームや下部の練習もちょくちょく見ていて思うのは、練習メニューが実にシンプルであること。複雑な練習はあまりない。

反対に日本では、中・高校生に対しても複雑で難しいメニュー、そして何より選手が飽きないような練習が与えられる。バリエーションも多く、同じ練習をあまり長い時間続けない。

バレンシアBの練習を見ていると、単純なクロスシュートを30分以上長々と続けていることが多い。日本では、単純な練習を長々、ダラダラ続けることはあまりない気がする。選手の集中力が続かないといわれるので。

わかり易く言えば、日本の練習メニューは実に過保護、なのかもしれない。選手が飽きないように、選手の集中力が持続するように、選手が楽しめるように、非常に考えられて緻密に作られている気がする。だからこそ、指導者はかなり練習メニューについて考えているし、日々違った内容を選手に与える。

指導者としては当然こういったことを考えてメニューを考えるのは必要だろうし、良いことだとは思う。ただ、そればかりに意識がいってしまうと、行き過ぎると逆効果になるのかもしれない。あくまでバランスが重要。

単純なメニューを長々と続けても集中力を持続させる選手はいるし、しっかり意識を持って練習に取り組む選手はいる。また、そういった選手が伸びるんだと思う。バレンシアBの練習を見ていて、彼等のそういう姿勢はひしひしと伝わってきた。単純で飽きがきそうなメニューでもボールが来れば集中してプレーする。特にFWは常にゴールへの意欲を持ってシュートを打っていた。だからこそ、枠を外したり、GKにストップされると大声でほえる。そして、クロスの精度が悪いと見方に対して罵声を飛ばす。

こういった事実には文化的な背景が当然あると思っている。これまでにも書いてきたように、多分、スペインでは個人に責任が帰せられることが多い。

予想の範囲だけれど、スペインには、“学級崩壊”なんて単語は存在しないと思う。少なくとも、スペイン人の学生なんてみんな学級崩壊をさせるような要素を持っていると思う。みんなやかましく、基本的に落ち着きがないから。

ただ、教壇に立つ先生は、多分そんなことは気にしていないと思う。日本のようにいかに全員に楽しんでもらえるか、生徒が集中してくれるような授業内容にするか、なんてあまり考えないのでは?!と思う。

つまりは、自分の先生としての役割は受け持つ教科をしっかり教えること、それを学ぶか学ばないかは生徒個人の問題。やる気のある生徒は吸収するし、ない子は吸収できない。以上。

みたいな感覚なのではないか、と思う。だからといって、それが責任回避だとか責任放棄にはならないんだと思う。

下部のサッカー指導者においても当然、良い選手を育てるのが目的で多くの選手をトップチームに上げたい。ただ、選手全員が上に上がれるなんて誰も思っていない。全員を上げようなんて思ってやっていれば、無理が生じるし事実無理。やるべきことはやるし、教えるべきことは教えるが、学び吸収し、成長するのは選手個人の問題。その手助けはするが、最終的には選手個人の責任。

そういった姿勢が社会にある気がする。学校での子供の様子はわからないが、少なくともサッカーグランドにおいては前お伝えしたように選手は年齢に関係なく、サッカー選手として扱われる。子供としては扱われないし、甘やかされることはない。

カンテラ寮を持つチームは多いけれど、12歳程度の年齢から寮で生活している選手もいる。日本であれば、「そんな低年齢で寮生活は可哀想」などと言われそうであるが… 12歳でも小学生でもサッカー選手であれば求められるものは同じ。いかに個人として選手として成長するか。その責任はその選手自身にかかっている。

だから、多分こんな悪口はないと思う。「バレンシアのカンテラにいたから俺はサッカー選手として大成しなかったんだ」とか、「バレンシアの下部指導者が悪いから俺はトップに上がれなかったんだ」みたいな。

逆にこう言われるだろう。

「バレンシアのカンテラにいならが大成しなかったんだ、実力はあったんだろうが、何かが足りなかったんだね」

「バレンシアの指導者に教えられても上に上がれなかったんだ。じゃあ、どこでプレーしても駄目だったんだろうね」


さて、十分寄り道した所で、昨日のチェルシー対リバプール。

昨シーズンのCL優勝監督対UEFA優勝監督の対決。監督が試合で出来ることは限られている。選手交代やハーフタイムでの指示程度。いくらテクニカルエリアに出てグランドの選手に声をかけてもこのレベルの試合ではスタンドの歓声で選手に声が届かないし。

だからこそ、試合前までの準備が一番重要になる。相手のプレースタイルを分析し、相手の出方を予想し、かなりの数のシュミレーションをしているはず。そして、それを選手にわかりやすく伝える必要がある。情報が多すぎても選手には伝わらない。あくまで多くの情報を絞って、まとめて伝える必要がある。

こういった準備がうまいからこそ、このレベル、チームで指揮を取る監督なんだろう。この両チームからは監督の意図する試合が伝わってきていた。共通認識が見て取れた。

試合内容としては、はっきりいってスペクタクルなものでも、純粋にサッカーとして面白いものでもなかったと思う。ましてや、中盤のみならずグランド全体での激しい潰しあい、削りあいがあり、まともにボールをキープ出来る選手などいなかった。

ただ、スタイルであり、チームの戦い方であり、いきなりこの試合からこの両チームのサッカーを見たとしてもチェルシーってコンパクトでダイレクトなサッカーをするんだな、リバプールって堅い守備を基本に早いサッカーをするんだな、ということがわかると思う。この1試合を見ただけでも、十分のこの両チームのスタイルが説明可能なのかもしれない。

チームがそういう意図や方向性を明確に持って試合をしていれば強い。1人1人の個性があるのは当然なので、チームにも個性があって当然。その個性を選手が入れ替わっても持てるかどうか、持つかどうかがこのレベルに残るチームとそうでないチームの分かれ道になってくるんだと思う。

日本では、個性を押し殺してもチームの為に、などという言われ方がするが、基本的には個性を潰してチームに貢献できるはずもないと思っている。選手個人は個性を持つのは当然で、チームが持つのも然り。選手はそのチームの個性にいかに自分の個性をうまく合わせていくか、殺したら意味が無いし、存在意義もない。監督はチームの個性を定義しながら、選手の個性をどう混ぜ合わせ、そしてその個性を伸ばしていけるか。

そういったことを、試合内容は別にして感じたゲームであった。

やはり、色々な試合を見ることは重要。ただ、やはり試合だけを見てもわからないことが多い。

モウリーニョやベニテスが日々どんなことを考え、どんなことを実戦しながらチームを作っているのか、とても興味深く思った。

以上。

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