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良い指導者の条件 

リバプール(というよりシソコ?)の活躍は後程にして、今回は久々にまじめに書こうと思います。

難しいテーマではありますが、“良い指導者”について。

勿論、“良い指導者”=結果を出す指導者でもあります。プロの世界にいけばそれは最低条件。でなければ、その世界で指導者として居座ることが出来ないのですから…

先日、高校サッカーガイドを見ていたら、こんな発言があった。

ディフェンディングチャンピオンの鹿児島実業、松沢総監督のコメント。

「ウチはプロ養成校ではない。プロを育てる、のではなくいつのまにか育った」
(「報知高校サッカー 第84回選手権大会パーフェクトガイド」より引用)

日本代表の松井や那須、遠藤を輩出しているこの超名門校の松沢監督の発言だけに実に興味深い。

また、これが現場サイドからの本音と呼べるかもしれない。

スペインにいて思ったことがあった。

例えば、ある選手がブレイクするとする。代表に登りつめたとする。すると、彼の経歴や出身クラブは紹介されるけれど、あまりそれまでに関わってきた指導者は紹介されない。

わかりやすい比較でいうならば、マジョルカの大久保。こういう言われ方をすること、聞くこともあると思う。

“国見の小嶺監督が大久保を育てた”

勿論、その通りだとは思う。大久保も多分、

「あなたは小嶺監督に育てられましたか?」

と聞かれて、「はい」と答えるのではないか。

でも、例えば逆に小嶺監督に、

「あなたは大久保を育てたのですか?」

と聞くと、恐らく答えは「いいえ」的な答えになるんじゃないかと思う。

私のような指導者の端くれが推測しても無駄かもしれないが、恐らく、良い指導者は、みんなこう思っていると思う。

「選手は育てるのではなく、育つ」

考えてみたら、スペインに長く暮らしていて、「この選手はこの指導者に育てられた」というような話題はあまり聞かなかった。

この選手=この指導者

という関係性を持ったような選手・指導者をすぐに頭に思い浮かべることが出来ない。

ただ、日本では案外こういうことが多い。

この選手=出身高校の指導者(名門校)

さっきも言ったように、これはあくまで周りからの評価のされ方であって、現場の指導者からすると、到底そんな考えは持っていないんだろうと思う。

私がコーチとして行っているチームの監督(私の恩師でもあるが)がある日、選手に向ってこんなことを言っていたのが印象的だった。

「俺はな、自分の限界をわかっている。俺の力だけでお前らを勝たせることなんて出来ないし、俺の力だけでお前らを良い選手に育てることは出来ない」

この発言を聞いた私の気持ちは、

「この監督は、素晴らしい指導者だな」

ということ。選手サイドからすると、「えっ?そうなの?」というような発言かもしれないが、それが現実だと思う。

また、良い選手、才能のある選手は、「そんなのわかってらぁ」と思っているはずだ…(苦笑)

プロになる選手であろうが、草サッカーをしている選手であろうが、たった1人の指導者だけに教わってきた選手というのは少ないと思う。良い選手になればなるほど、色々な指導者と出会っているものだと思う。ユースでも代表クラスになれば、トレセンや代表でチームの指導者と違う指導者と出会っているのだから。

良い指導者というのは、そういうことも踏まえて、

「選手は育つもの。育つためのきっかけや環境を与える」

とある意味、開き直りに近い悟りを持っている人だと思う。

指導者も選手も人間。よって、一期一会があり、向き・不向きがある。プロになればどんなに才能があっても監督によって飼い殺しされてしまう選手もいるくらいだから。

日本社会の良さでもあるけれど、師弟関係的な見方はどうしてもある。

良い選手、成功した選手ならば、「あの選手はあの指導者に育てられた」と評価され、自分も恩師も評価してもらえることになる。問題ない。

ただ、成功しなかった選手になると「俺が成功しなかったのは、あの指導者のせいだ」と責任転嫁の対象になってしまう危険性がある。当然、相性の問題があるからそういう側面も否定はしないが、そこだけに結論を持ってきてしまうとやはり先につながらない。だって、最終的に困るのは選手本人だから。一部の選手がうまく活躍しなくともチームの結果が出れば評価されてしまうのが指導者である。

良い指導者の中でもトップクラスにいる指導者は、そんな“悟り”を持ちながら、持っているからこそ、こんなことにまで考えを及ぼしているんだと思う。

「どうせ選手は育てられない。だったら、その選手が伸びるようなやり方を選手に合わせて提供していこう」

こういう発想をしている指導者は、恐らく、10人選手がいれば全員に違ったスタイルの指導をするんだと思う。コーチングのタイミング、言葉のかけ方、言葉の強弱、等々。

つまり、自分としての指導の“型”を固めてしまわないこと。柔軟に色んな選択肢を持っていること。だって、選手は皆違うんだから。


今日のリバプールの試合を観ていてこう思った。

例えば、ミスタ、シソコに、

「あなたはベニテスに育てられましたか?」

と聞くと、答えは「Si(はい)」になるだろう。

でも、ベニさんに、

「あなたがミスタ、シソコを育てたのですか?」

と聞いたら、答えは「No(いいえ)」と答えるだろう。

それが真実、それが本音。嘘偽りはないんだと思う。

それを人は謙虚さと呼ぶのかもしれないし、そうかもしれない。ただ、それが真実であること、「選手は育てるのではなく育つ」んだということは理解したいと思う。

そんな理解が国民の中で芽生えてきた時、サッカー大国が生まれるのかもしれない。

Comments

恩師の魅力

そういう発言をしても「責任放棄」にならない、とられないところなんですよね。凄いのは。そういう駆け引きというか計算が出来た上で発言している。やはり、現場経験のなせる業だな~とその時、直感しました。

選手って言葉以上にその指導者の行動や雰囲気を体で感じていますから。そのセンスがサッカーをやる上では一番重要かもしれません。

  • [2005/12/17 00:01]
  • URL |
  • イチロー(管理人)
  • [ Edit ]
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良い指導者とは、自主性のサポート役としてのことなのでしょうね

言葉の「使い方」、そして「重さ」の問題と理解します。
イチローさんの恩師の
『俺の力だけで勝たせることなんて出来ないし、良い選手に育てることは出来ない』
という言葉も、一つ間違えれば「責任放棄だ」と思われかねないでしょうし。

僕が言えば、間違いなくそう思われるだろうなぁ(笑)

ただ、誤解される可能性もなくはないですが、選手を自立させるには最高のヒントでしょうね。

  • [2005/12/16 20:02]
  • URL |
  • カルボーニ年金
  • [ Edit ]
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ご冥福をお祈りします

この記事を書いた直後にニュースを見ました。イチロー(僕ではない)が「唯一の師」と語っていたのが印象的でした。

あんな選手にそんなことを言ってもらえる監督は本当に良い指導者だったんだと思います。ご冥福をお祈り致します。

  • [2005/12/16 17:55]
  • URL |
  • イチロー(管理人)
  • [ Edit ]
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指導者といえば

サッカーではないのですが、近鉄、オリックスで監督をして、野茂、イチローと独特選手の個性を指導した仰木監督がおなくなりになってしまいましたね。
残念な限りです。

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