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サッカーというコミュニケーションツール 

私が考える、“サッカー”とは、、、

いきなり哲学的だけれど、たまに考えることがある。

私にとって、サッカーとは、、、

単なるスポーツではなく、人間にとって一番可能性のある、

コミュニケーションツール

ではないかと思う。

横文字、カタカナで「コミュニケーションツール」なんて言うと堅苦しくなってしまうけれど、私にとってサッカーとは言語と同じ。自分と他人をつなげてくれる働きをしてくれる。

これまでの人生を振り返ってきた時、このサッカーを通しての出会いが一番多かったんだと思う。勿論、そんな中にお会いしたことはないけれどこのブログの読者の皆さんも存在している。

簡潔に言うならば、私にとっては、

英語<サッカー

ということ。まあ、自分が英語が大の苦手だという逃避的な思考回路からの定義付けでもあるけれど、これまでの経験上、世界で多くの人間とつながるためには英語以上にサッカーが役立つ時があるし、あった。

スペインにいた時こんなことが多々あった。

〈公園でボールを蹴っている私にたいして〉

「オラ~!一緒にボール蹴ろうよ!混ぜてよ!」

サッカーにおけるナンパとでも言うべきか…

でも、こうやってボールを蹴ることだけで不思議と相手の感性や考えがわかったりして、言葉でのコミュニケーション以上に相手をわかりあえたりするのはこのサッカーが持つ最大の魅力かもしれない。

部活をしていた時は、恩師にこんなことをよく言われた。

「練習では、色んな人間とボールを蹴れ。いつも同じような仲間とボールを蹴るなよ。2人でボールを蹴る、パス交換することが一番相手をわかる方法だ」

例えば練習では2人組で対人パスのような単純なメニューの場合、相手、パートナーを決めてしまうことが多いけれど、そうはしないようによく注意された。だから、なるべく色んな人間と蹴る(感じる)ようなことを心掛けていた気がする。

サッカーでは、試合中、監督の指示によって誰かの指示によってプレーを選択出来ない。そんな時間がない。タイムアウトもない。

ボールを持った瞬間の閃き、一瞬の判断はまさにその人間が持つ感性や考え、哲学そのもの。だからこそ、サッカーでは1つのパス、1つのプレーでその選手の個性が出る。だからこそ、1つのパスで相手をわかることが出来る。

こういう側面がサッカーの持つ魅力だと思う。こういう側面は恐らく、レベルの高い選手になればなるほど強いんだと思う。なぜなら、その感性のレベルが高いから感じ方がより強固になっているから。

だからこそ、代表であったり、チャリティーマッチのような普段は練習していないようなメンツとサッカーをしてもピッタリと息の合ったプレーやパスが繰り広げられるんだと思う。

我々もそんな試合を観て、「あれっ?ロナウジーニョとアイマールって普段一緒に練習してるんだっけ??」みたいな感覚に襲われることがある。(1つの例として彼らを挙げてみた)

勿論、個人的に英語は勉強したいし、話せるようになればもっと世界は広がるんだろうな~と思うけれど、自分にはサッカーという武器もあるんだな~と世界を旅して思ったりした。

イタリア人で“日本の総理は?”という質問に答えられる人間はどのくらいいるだろう?

「知っている日本人は?」

と聞いたら、90%くらいが、「ナカ~~~タ!!」と答えるんじゃないかと思う。(あとの3%が「ナカム~ラ」で1%が「ヤナギサ~ワ」かなとか推測されるが…笑)

確かに、我々日本人でもブラジルの大統領の名前を言えないのに、セレソンの11人を言えたりする。これって凄いことだと思いません?!

私が少年時代、まだまだ周りの友達は野球を選んでいた。幼稚園からの幼馴染みがプロで今もエースピッチャーとして活躍していたりするくらい私の周りは野球少年ばかりだった。というか、私も小学校では野球ばかりしていた。(笑)

でも、何でサッカーを選んで、サッカーを続けてきたんだろうとたまに不思議に思う。今となっては明確な答えがあるけれど、少年時代なんてわからない。無我夢中でボールを追いかけていたから。

1つ言える事は、どんなに嫌いな監督でも怖い監督でも試合になれば、そんな監督のことなど気にせずプレーしていたということだけ。それが一番の魅力だったのかもしれない。私は基本的に他人の話しを聞かないから(苦笑)

野球は好きだし、今でもプロ野球は見るし、野村監督の本も買って楽しく読ませてもらったけれど、選手として野球を続けていたらどうなっていただろうと思う。

「何で俺が選手やのに、監督のサインに従ってプレーせなあかんねん!」

と心の中で叫びながら、矛盾を抱えながらプレーしていたかもしれない。生意気な選手になっていただろうと思う。

サッカーも当然ながら監督の指示には従う必要があるが、監督の指示を守らずに結果を出せば評価されてしまう。まあ、監督はお怒りだろうが。

だから、私はよく現場でこんなことを言う。

「みんながピッチに立てば自分で判断してプレーしなきゃ駄目だぞ。もし、俺ら指導者がああしろ、こうしろと言っていても、ボールを持ってゴールを決めたらお前らが正しい」

別にDFの選手がボランチにビルドアップする必要なんてない。ボールを持った時に相手GKがゴールを空けていたらシュートを狙って打ってもいい。その状況で必ずやらなければいけない決まりなんてないんだから。

ただ、指導者側は数字の問題、確率としてどうすれば結果に結びつきやすいかというルールやセオリーは知っている。そういう選択肢を選手がわかっていて、自分で判断し、結果を出せれば最高の選手だ。

よく指導者も選手がミスした後に、

「なんでこうしないんだ~!」
「そこはこうだろ~!」

と言う。でも、そうしていなくても結果が出れば、

「いいぞ~!」

と言っている。(笑)

まあ、そんなベンチからの声が聞こえているかどうかは怪しいとしてもそんな声が大した力にならないことも指導者側はわかっている。

プロの試合、大観衆の中でやる試合になれば、ピッチサイドに監督が出ていっても選手にコーチングなんて出来ない。声は届かない。監督なんてそれを十二分にわかった上で、自分の気休めとして出て行っている人が多いと思う。


話しがそれてしまったけれど、これからの時代、

「英語、パソコン、そしてサッカー」

が世界で活躍する為の3種の神器になるかもしれない。

“サッカーバカ”という言葉が世界で通用するための証になるかもしれない?!

いずれにせよ、難しい英語の単語1つ覚えるよりも、「パブロ・アイマール」というサッカー選手の名前を覚えることの方が確実に友達を作れる。

「えっ!お前もアイマール好きなのかよ~。Bien!Bien!」なんて言って一杯おごってくれることもあるかもしれない。(笑)

みなさん、サッカーが好きなことは1つのコミュニケーションツールを手に入れたのと一緒のことです!世界に飛び出しましょうね!

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